昨日、旧知の2代目経営者の仲間と食事した時のことです。
今、行なわれている地方選挙のこと。
ビジネスの現状や将来のことなど。
取りとめもなく、話をしていたわけですが。
ふと、話題に上ったのが。
人は。
生まれた場所や時間は、自由に選べない。
死ぬ場所や時間も、自由に選べない。
ただ人は。
生まれて死ぬまでの間に。
ものすごく多くのことを選んでいる。
たとえば、起きて会社に行こうか?休もうか?
何を着ていくか?ゴハンは何を食べるか?
仕事は何を先にするのか?どの方法でするのか?
どの程度まで仕上げるのか?何時までにするのか?
などなど。
1日に何十、何百もの選択をしている・・・という話から。
一方で、よく会社経営やビジネスの選択の場面で。
自由に選べない、一つしかない、とか。
また何を選べばよいかわからない、とか。
普段の生活では、数多くの選択肢から。
数え切れないほどの選択を経験しているのに。
選択肢が一つしかないと思ってしまう。
選べないと思ってしまう、選ぶものがないと思ってしまう。
これって、どうしてかな?という話題になりました。
すると、旧知の仲間は。
「そりゃ~今日は何を食べようかな?ってレベルと。
ここで選択をミスったら、会社が傾くとか、ビジネスが失敗するとか。
こんなレベルの選択とは、重さも緊張感も違うからさ、あたり前じゃん。」
と答えたので。
たしかに、選択の結果が生む重さが違ったり。
そのための緊張感が違ったり、これはあるとは思いますが。
たとえば普段のお昼ゴハン、多くの品が載っているメニューがあったり。
お店も定食屋さんやラーメン屋さんや蕎麦屋さんなど数多くあったり。
本当は多くの選択肢があるのに、おもしろいもので。
なぜか?いつもの店でいつものメニュー!ってことが多くないか?
ところが、たとえば「今日こそは!」と思う商談やデートの食事なら。
いろいろ考えたり、時にはネットで調べたり、数多くの選択肢を集めて。
お店からメニュー、または品を出すタイミングなど考えるわけで。
重さや緊張感がある場面の方が、選択肢を増やして決めないか?
つまり、選択する緊張感や結果の重さでなく。
単に考えたいか?考えたくないか?めんどくさいか?手間をかけたいか?
もっと言ってしまえば、選択の結果から逃げたいのか?責任を取るのか?
いわゆる、思考停止に自分を追い込んでいるとか。
あとは好きか?キライか?など、感情的なものじゃないか?と話しました。
思うに。
たとえば目標や理想や夢といったものでも、何か一つに絞って。
それが100%手に入ること、これしか選択はない!と思い込んで。
その結果、逆に行き詰って目標や理想や夢を手に出来ない。
途中で、もっと適正な目標やより良い理想や夢があるのに目に入らない。
このようなことも、一種の思考停止、思い込みや先入観念とか。
意地や見栄、恥ずかしさなどの感情的なブレーキが原因ではないでしょうか。
考えてみれば。
何を選べばよいかわからない、選びたいものがないというのは。
典型的な思考停止であり、感情的なブレーキが働いている状態ですね。
目標も、理想も、夢も、たくさんあるうちの一つだけ手に入ればよい。
100%や100点満点でないけれど、70%とか65点なら、と考えてみる。
目標や理想や夢、そのための行動が決められない、始められない時。
実は多くの選択肢、方法や考え方、捉えたがあることに。
普段の生活で、私たちは誰でも多くの選択を経験していることに。
思い返せば、そうなんだよな~と思うことが。
意外と大切かもしれませんね。
ではでは。また。
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