あの大作「ローマ人の物語」の作者、塩野七生さんが。
「多くの人は見たいと欲するものしか見ない」
というカエサルの言葉がお好きだそうで。
その中で、リーダーと一兵卒について。
見るものが違うかと言ったら、 本当は同じ。
だけど一兵卒は、その重要性に気づかない。
いや、気づきたくないわけで。
たとえば敵が来るなんて思いたくないから敵を見ない。
そこが、リーダーとリーダーでない人の間に存在する、厳とした差。
という話をしています。
そう、会社経営だとすれば。
塩野さんが話されている、リーダーとリーダーでない人とは。
まさに、社長と社員、部門長と部下、といったところでしょうか?
それに2代目経営者にとっては、もっとやっかいな存在。
自分が社長、会社のリーダーになったのですが。
リーダーでない人、しかも自分をリーダーと認めない人たち。
社長の座を譲ったにもかかわらず、口をはさむ先代社長に始まって。
先代の頃からいる古参幹部、お手並み拝見と黙っている社員など。
この人たちも「見たいと欲するものしか見ない」のです。
すると。
「え?でも、それは先代の親心でしょ?心配しているんですよ」
「頼りない2代目ボンボンをサポートしようとしている、イイ社員じゃないか」
「実績も実力もないのに、肩書きだけではリーダーになれないってことさ」
という声が聞こえてきそうですが。
実は心理学的にも、判断がわかれる、言い切れない、不明な事柄。
たとえば会社経営、世間が騒ぐ安保法制や原子力発電の是非など。
たしかに人は最初から見たい、信じたいことの裏付けや評価を探して。
たとえば業界や市場のある一段面を中心に見る、自分の実績を信じる。
戦争になった過去を見る、現状の中国を見る、放射能の危険性だけ信じる。
最初から直感で、実は個人的な経験で、過去の結果で、一断面の報道で。
最初から決めているにも関わらず、あたかも客観的で理論的だとして。
たとえば業界の動向はこうだ、市場はこうだ、ウチの会社はこうだ、とか。
戦争になる?戦争回避になる?とか、今の原子力規制の安全の可否、とか。
自分の主張や考えが正しいとしたがるのです。
しかし、リーダーは。
そうは、いけません。
見たくないものを見る、信じたくないことの可能性を考えなければ。
会社や国が大きく傾くことも起こるわけで、大きな視野が必要です。
そして。得てして、経営でも国際情勢でも、実際にたびたび起こるのが。
見たくない脅威、信じたくない事故、その結果としての悪い事態ですが。
たとえ運が良いこと、良い結果であっても。
見たくないというか、見てなかったこと。
願っていないというか、願っていない以上の結果もよくあって。
その点で「幸運の女神」は、前髪もない坊主頭の結果論なのですが。
見たくないものや信じたくないものまで、見る必要は良悪の双方にあります。
特に、私たち2代目経営者は。
たとえ結果が良くても、また仮に悪くでも。
見たくないもの、それは見たくない自分の姿や態度。
そして、自分はよく見ていた!と思っていた人や事も含めて。
信じたくないこと、これもまた信じたくない自分の行動。
そして、この人は!これは!と信じていて人や事も含めて。
見たくないものを見ようとしたり、信じたくないものの可能性を考えようとしたり。
こういう感覚を身につけていた方が、より良いと思います。
というのも、先ほどの話。
たしかに、先代や古参幹部は「良かれと思って」口をはさむ。
社員は「肩書きでなく実力で」と、あたり前の感覚でいるだけかもしれません。
でも、あなたがリーダーなのです。
先代も古参幹部も、自分の成功体験や過去の実績で。
自分が見てきたこと、信じてきたことを言っているのです。
社員は、自分の立場や習慣、クセや好み、また過去の社内慣習などで。
自分が見てきたこと、信じてきたことに基づいて行動しているのです。
もちろん、私たち2代目経営者もそうです。
本で読みかじった知識、しかも自分好みの理論や手法。
若い世代感覚で感じる社内や業界や市場の雰囲気や慣習など。
それをリーダーになったから、振りかざそうとしたり。
先代や古参幹部や社員、業界や市場にぶつけてみたり。
リーダーとして「見たくないものまで見る」のでなく。
自分自身や物事に関して「見たいと欲するものしか見ない」タイプ。
むしろ、創業者や古参幹部や社員や同業他社のベテラン経営者よりも。
見たいものしか見ない2代目経営者のほうが、多いと感じることさえあります。
ただし。これも私自身が見たい、信じたいと思っている考えです。
だから賛否両論、好き嫌い、賛同や批判の両方があって当然です。
ただ否定されても、嫌いでも、批判しても。
それもまた、あなたが見たくないだけのこと。
リーダーならば、そこに気をつけなくてはいけない。
いわゆる「器を広げる」ために、見る努力が必要ではないでしょうか。
古いコマーシャルですが「反省だけならサルでもできる」というコピーがありました。
元気をなくて、飲みすぎや食べ過ぎで、その時に!その前に!という薬の宣伝でした。
もし「見たいもの」や「信じたいもの」だけ、頑なに見たり、信じたりしていれば。
反省もなく、否定や批判するだけで論議にならず、ただただ感情的になるだけですが。
先代と2代目、血縁があるからこそ感情が先に立つ。
株主総会のあとは、裁判になっているどこかの家具屋さんではありませんが。
この手の話、2代目にはよくあるものです。
夫婦喧嘩は、犬も食わぬなら。
あのような親子喧嘩は、世間やはたから見れば。
まさに、サルにも劣ると言ったら。
言い過ぎかもしれませんね・・・関係者の方、お許しを・。
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