2015年8月11日火曜日

夫婦喧嘩が犬なら、親子喧嘩はサル?

あの大作「ローマ人の物語」の作者、塩野七生さんが。

「多くの人は見たいと欲するものしか見ない」

というカエサルの言葉がお好きだそうで。
その中で、リーダーと一兵卒について。

見るものが違うかと言ったら、 本当は同じ。
だけど一兵卒は、その重要性に気づかない。

いや、気づきたくないわけで。
たとえば敵が来るなんて思いたくないから敵を見ない。

そこが、リーダーとリーダーでない人の間に存在する、厳とした差。

という話をしています。

そう、会社経営だとすれば。
塩野さんが話されている、リーダーとリーダーでない人とは。

まさに、社長と社員、部門長と部下、といったところでしょうか?

それに2代目経営者にとっては、もっとやっかいな存在。
自分が社長、会社のリーダーになったのですが。

リーダーでない人、しかも自分をリーダーと認めない人たち。

社長の座を譲ったにもかかわらず、口をはさむ先代社長に始まって。
先代の頃からいる古参幹部、お手並み拝見と黙っている社員など。

この人たちも「見たいと欲するものしか見ない」のです。

すると。

「え?でも、それは先代の親心でしょ?心配しているんですよ」
「頼りない2代目ボンボンをサポートしようとしている、イイ社員じゃないか」
「実績も実力もないのに、肩書きだけではリーダーになれないってことさ」

という声が聞こえてきそうですが。

実は心理学的にも、判断がわかれる、言い切れない、不明な事柄。
たとえば会社経営、世間が騒ぐ安保法制や原子力発電の是非など。

たしかに人は最初から見たい、信じたいことの裏付けや評価を探して。

たとえば業界や市場のある一段面を中心に見る、自分の実績を信じる。
戦争になった過去を見る、現状の中国を見る、放射能の危険性だけ信じる。

最初から直感で、実は個人的な経験で、過去の結果で、一断面の報道で。
最初から決めているにも関わらず、あたかも客観的で理論的だとして。

たとえば業界の動向はこうだ、市場はこうだ、ウチの会社はこうだ、とか。
戦争になる?戦争回避になる?とか、今の原子力規制の安全の可否、とか。

自分の主張や考えが正しいとしたがるのです。

しかし、リーダーは。
そうは、いけません。

見たくないものを見る、信じたくないことの可能性を考えなければ。
会社や国が大きく傾くことも起こるわけで、大きな視野が必要です。

そして。得てして、経営でも国際情勢でも、実際にたびたび起こるのが。
見たくない脅威、信じたくない事故、その結果としての悪い事態ですが。

たとえ運が良いこと、良い結果であっても。

見たくないというか、見てなかったこと。
願っていないというか、願っていない以上の結果もよくあって。

その点で「幸運の女神」は、前髪もない坊主頭の結果論なのですが。
見たくないものや信じたくないものまで、見る必要は良悪の双方にあります。

特に、私たち2代目経営者は。
たとえ結果が良くても、また仮に悪くでも。

見たくないもの、それは見たくない自分の姿や態度。
そして、自分はよく見ていた!と思っていた人や事も含めて。

信じたくないこと、これもまた信じたくない自分の行動。
そして、この人は!これは!と信じていて人や事も含めて。

見たくないものを見ようとしたり、信じたくないものの可能性を考えようとしたり。

こういう感覚を身につけていた方が、より良いと思います。

というのも、先ほどの話。

たしかに、先代や古参幹部は「良かれと思って」口をはさむ。
社員は「肩書きでなく実力で」と、あたり前の感覚でいるだけかもしれません。

でも、あなたがリーダーなのです。

先代も古参幹部も、自分の成功体験や過去の実績で。
自分が見てきたこと、信じてきたことを言っているのです。

社員は、自分の立場や習慣、クセや好み、また過去の社内慣習などで。
自分が見てきたこと、信じてきたことに基づいて行動しているのです。

もちろん、私たち2代目経営者もそうです。

本で読みかじった知識、しかも自分好みの理論や手法。
若い世代感覚で感じる社内や業界や市場の雰囲気や慣習など。

それをリーダーになったから、振りかざそうとしたり。
先代や古参幹部や社員、業界や市場にぶつけてみたり。

リーダーとして「見たくないものまで見る」のでなく。
自分自身や物事に関して「見たいと欲するものしか見ない」タイプ。

むしろ、創業者や古参幹部や社員や同業他社のベテラン経営者よりも。
見たいものしか見ない2代目経営者のほうが、多いと感じることさえあります。

ただし。これも私自身が見たい、信じたいと思っている考えです。
だから賛否両論、好き嫌い、賛同や批判の両方があって当然です。

ただ否定されても、嫌いでも、批判しても。
それもまた、あなたが見たくないだけのこと。

リーダーならば、そこに気をつけなくてはいけない。
いわゆる「器を広げる」ために、見る努力が必要ではないでしょうか。

古いコマーシャルですが「反省だけならサルでもできる」というコピーがありました。
元気をなくて、飲みすぎや食べ過ぎで、その時に!その前に!という薬の宣伝でした。

もし「見たいもの」や「信じたいもの」だけ、頑なに見たり、信じたりしていれば。
反省もなく、否定や批判するだけで論議にならず、ただただ感情的になるだけですが。

先代と2代目、血縁があるからこそ感情が先に立つ。
株主総会のあとは、裁判になっているどこかの家具屋さんではありませんが。

この手の話、2代目にはよくあるものです。

夫婦喧嘩は、犬も食わぬなら。
あのような親子喧嘩は、世間やはたから見れば。

まさに、サルにも劣ると言ったら。
言い過ぎかもしれませんね・・・関係者の方、お許しを・。

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