置かれた場所で咲きなさい、という言葉があります。
たしか、どなたかの本のタイトルだと思いますが。
本、テレビ、SNS、ブログ、Twitterなどなど。
いろいろな媒体で、言葉を発する時、意見を述べる時。
言葉そのものの意味よりも、発信した人にフォーカスして。
誰が言ったのか?どんな立場の人がコメントしたのか?
その人の経歴や経験は?日頃の言動はどうなのか?
このような人の評価、また発信した人と自分を比べることで。
言葉の受け止め方や感じ方が、大きく違うことがあります。
それは何かを注意された時、たとえば仕事上の判断ややり方とか。
箸の使い方や食べ方、また自分が劣っていると思っている点とか。
尊敬する上司か、それとも普段から生意気だと思っている新人からか。
愛してやまない異性か、それとも気にもならないどうでも良い異性か。
自分が理想とする先輩か、それとも自分と同等と思っている同僚か。
同じ「その判断は間違っている、そのままだと成功しない」と言われても。
同じ「箸の持ち方が違うよ」とか「それは、こう食べた方がイイ」と言われても。
同じ「そこは変えた方がイイ」とか「そのことは直すべきだよ」と言われても。
素直に言葉のとおり、耳を傾けられることもあれば。
無視したり、反発したりすることもあると思います。
それも、普段なら素直に聞ける尊敬できる上司でも。
愛している恋人でも、理想とする先輩でも。
自分の心が体が疲れているとか、ちょっとした言い回しや言い方とか。
自分の状態や相手の無意識な態度などでも、受け止め方が大きく違うでしょう。
当然、この「2代目横丁」のコメントもそうです。
同じ2代目経営者、という立場で発信しているつもりでも。
AさんとBさんでは、受け止め方が大きく違うことが起こる。
これが自然であり、あたり前のことだと思うのです。
そう。置かれた場所で咲きなさい、という言葉も。
その時、その場を受け入れて。
自分なりに懸命に咲く、という意味合いでは。
先代から事業を引き継ぎ、何の苦労もなく財産を手にして。
恵まれた環境に見えているが、実際は実を削る思いをもって。
ボンボン、アマちゃん、お嬢ちゃんと言われ反発しながらも。
至らない自分、力のない自分を反省しながら進もうとしている2代目には。
まさに、生まれ持った2代目という「置かれた場所」で。
先代の色を活かしつつ、先代ほどの大輪でなくとも。
自分なりの花を咲かすために、場合によれば別の花を咲かそうと。
まじめに精進している、周囲の人に心を砕いている2代目にとっては。
そうだよな、と共感しやすい言葉だと思います。
一方で、同じ2代目から見ても温室で育った2代目。
世間でよく言われるだけあって、決して少なくない真のボンボンやお嬢ちゃん。
ワキのアマい2代目、周囲の人に配慮もない2代目、自分を特別視している2代目。
恐らくこのような方たちは、この「2代目横丁」を読むことも、気にすることもないでしょうが。
置かれた場所で咲きなさい、と言われても。
生まれ持った2代目という置かれた場所に、疑問や悩むこともなく。
感心することも、関心を持つこともなく。
また奸臣に足元をすくわれるまで、寒心することなく。
日々を過ごしているように思えます。
もちろん、置かれた場所で咲きなさい、という言葉に。
共感した努力を重ねる2代目が偉いとか、良い2代目とか。
無関心で寒心の経験ない2代目はダメとか、悪い2代目とか。
このような話をするつもりは、1ミリもありません。
それぞれで良いのです。
自分の感じ方で、受け止め方で何の問題もないのです。
ただ「2代目横丁」は、前者の悩んだり、迷ったりしている2代目。
毎日、頭やワキに冷や汗をかき、前へ進もうとしている2代目に。
共感して、少しでもお役に立ちたくて。
さまざまなコメントや情報を発信している存在です。
ですから、置かれた場所で咲きなさい、という言葉も。
置かれた場所、生まれ持ったというだけの2代目という場所であったり。
置かれた環境や配偶者との関係で、跡を継いだ2代目という場所であったり。
自分の意志や決断より、生まれや血縁や婚姻などで2代目となって。
それでも継いだ以上は、自分なりに努力を重ねて、苦労をしている。
このような思いを持つ2代目に、伝えたい解釈があります。
置かれた場所で咲く、このような心持ちは。
環境や現状を受け入れる、心に徳のある人が持ちえる心境で。
ニュートラル、自然体、という言葉にも近くて。
まさに無の境地とは、何もないのでなく、すべてを受け入れることですから。
素晴らしい信条、目標としたい考え方になるかもしれません。
しかし、同時に。
生きるためだけに、食べ物を探して、食べて、寝て。
子孫を残すためだけに、本能のままに行動する生きものでなく。
人は、自分の意思や心や感情で行動する生きものです。
人は、自分の意志や心や感情を折り曲げて行動すると病になる生きものです。
置かれた場所がガマンできなければ、ひどければ。
そこから出て行っても良い、むしろ逃げるべき場所や場合もあるのです。
置かれた場所から出る、逃げる、避ける。
壁を乗り越えるのでなく、回り道をする、時には穴を開ける。
このような判断や行動を含めて、すべてが自然体であって。
すべてを受け入れる、そのような大きな器であると考えて良いのです。
置かれた場所で咲くという心構えや行動も大事ですが、逃げるも大事。
置かれた場所で咲くから器が大きい人なのでなく、逃げられるのも器が大きい人。
まじめな2代目の方、自らを律することができる2代目の方は。
置かれた場所に、踏みとどまり過ぎない、こだわらない。
このような行動も、ぜひ大切にして下さい。
ではでは。また。
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