2014年12月30日火曜日

年の瀬で思うこと -その4-

いよいよ、明日は大みそか。
年の瀬のつぶやき、そのラストとして。

新年のことを考え、日本の未来について話してみたくなりました。

毎年のように、この時期となると。
来年の経済はこうなる、日本の未来の姿はこうなるなど。

社会情勢や景気動向について、いろいろな予測がテレビや新聞などに出ます。

それらの予測に使われる根拠、考え方には。
さまざまな統計や理論が使われていますが。

社会や経済の未来予測で、唯一と言っても良いほど当たるもの。
それは人口統計、中でも確実にその国の将来を推測できる人口動態です。

ご存じのように、これから世界経済は「アジア時代」と言われていますが。
これもアジア各国の人口統計から、確実に予測できるシナリオの一つです。

少子高齢化が進み、消費人口(経済市場)が確実に減少する日本を尻目に。

人口動態から確定しているのは、アジアの40歳代前後の消費人口世代は。
確実に欧米の何倍も存在して、生活の欧米化と共に中産階級層が増えます。

総人口でいえばEUの4倍、アメリカの8倍になるのがアジア市場です。

中国があと十年ほどで、明らかに日本以上の少子高齢化になる一方で。
変わってインドがけん引、中国とインドで世界人口の4割を占めるようになります。

もちろん、だからといって。
このブログをご覧の2代目経営者のみなさんに。

アジアに出よう!という話ではありません。

すでに、その国に「お客様」がいれば別ですが。
国内がダメだから海外は、どんな商売も通じないでしょう。

その一方で、アジア地域でのインターネットの発達や円安も追い風となって。
日本の商品やサービス、生活文化に興味のあるアジア人は増え続けています。

このような状況で、アジアの人たちや国々とタッグを組みアジア進出する。
または人や商品、お金、情報などを日本国内に呼び込むようなビジネスは。

地方都市で小規模な会社であっても、その可能性が高まっていると思います。

加えて、主に国内市場で日本人をお客様とする中小企業経営者としては。
少子高齢化による日本の未来の「正体」も、頭におく必要があると考えています。

まず1点目は、少子化の「正体」です。

日本の15才未満人口、子どもは「少子」が進んでいると騒がれていて。
たしかに年々減少、今年は約1600万人という統計発表がありました。

ところが。この1600万人は、オランダ一国とほぼ同じ。
スウェーデンの約1.7倍、デンマークの約3倍もの規模なのです。

たしかに、過去のように黙っていても勝手に売れるような市場でなく。
また団塊の世代ように、物欲が高い世代だとは言えない世代層ですが。

売り上げが、何千億円という規模のビジネスや大企業は別として。
数億円から数十億円の中小企業ならば、まだ打つ手がある規模になるでしょう。

次に2点目として、少子高齢化による未来の姿の「正体」です。

ヨーロッパ一国分の子どもが、少子化とはいえ存在する上に。
全体の人口でも、世界のトップ10に「まだ」ランキングされる日本では。

今さかんに喧伝されている、政治家や官僚による消費税の増税の根拠。
財政破綻を避けながら、年金や医療、社会保険制度を維持するという話が。

もう、すでに多くの方が感じておられるように。
根本的にムリであり、極めてバカげた話!という点に気づきます。

そうです。

少子高齢化で、人口が減ったといっても総人口1億人もいる日本なのです。
少子とはいえ、数十年後にヨーロッパ一国分が次々に高齢化を迎える国です。

中小企業の経営と大企業の経営が、同じ手法や制度でないのと同じです。
多くの老人を生み続ける日本では、今の社会制度の維持はまず不可能です。

そのことに気づきながらも、あえて国民に伝えないようにしているのか?
政治家や官僚の無責任さ、自己保身の姿勢が今の政治と行政に見られます。

すでに多くの方が実感されているように、これからの日本は。

その人口規模や人口動態から、今後の数十年は。
社会制度が整っているようなヨーロッパ型社会でなく。

医療保険もなく、100ドル(約1万円)の治療費が払えなくて。
虫歯の菌が脳にまわって、死亡するような子どもが多数いる社会。

アメリカ型の格差社会の拡大に直面しざる得ません。

その点、どこかの「頭でっかち」の政党が掲げているようなこと。
中産階級層、いわゆる中流層の所得を増やすという社会の実現は。

ハッキリ言って、絵に描いた餅どころか。
現実を知らない学者さんたち、または「お坊ちゃまたち」の理想論です。

今後も中流層が下流化する社会が進む一方で。
高所得者、上流層の人たちが増えるという流れは続くでしょう。

また人口動態から予測すれば、ますます加速するとも思われます。

もし変えるなら、移民の受け入れをはじめ人口構成を変えることですが。
それは急にはムリな話、アメリカの移民は数百年も続いてきた流れです。

この点を踏まえれば。

国内市場を商圏とするビジネスで、経営や商品を考える上で。
経済格差が拡大、富が偏る社会が進んでいくという前提は。

外してはいけない視点だと考えています。

そもそも根本的に、資本主義という経済制度そのものが富の偏りによって。
川やダムのように、高い所から低い所へ流れることで成り立つ制度です。

高低がない、フラットな社会、つまり社会主義的な国家は消滅して。
また、ゆりかごから墓場までという充実した社会制度のある国家は。

一定以上の市場(人口)規模の資本主義のもとでは。
幻想というか、言いすぎかもしれませんが非現実的で稚拙な主張。

そのことをロシア、かつてのイギリスが示しています。

もちろん。個人的には、立派な社会制度や高い福祉制度は必要だと思います。
資本主義の歪みを正そう、弱肉強食の社会はイヤだ!とい考えも理解できます。

しかし私たちは経営者であり、ビジネスマンであります。

私たちの住む日本、ビジネスをしている日本という国は。
資本主義というか、アメリカ型の消費社会にあこがれて。

その深みに、戦後70年間もハマってきた国でもあります。

自社の維持と発展なくして、社会制度や福祉制度の維持を語るのは。
会社や組織のリーダー、また社会人としても控えた方が良いでしょう。

最後に。
今さら、言うまでもないことですが。

政治家や官僚といった、日本でも一番の「国内内需型」の商売をしている人たち。
資本主義に基づく自由化や規制緩和が入ると、自分たちの仕事を失う人たちの話は。

信じることも、頼ることもなく。

少子高齢化が進む日本で、自立した商売を展開すること。
それが昔も、今も、未来も必要不可欠であることをお伝えして。

今年一年、2代目横丁をごひいきにして頂いた感謝と共に。
2014年のブログを締めくくりたいと思います。

本年は、本当にありがとうございました。
みなさん、良いお年をお迎え下さい。

2014年12月25日木曜日

年の瀬で思うこと -その3-

さてさて。今日はクリスマスですね。

今夜あたり。

家族と過ごす方、恋人と過ごす方、友人と過ごす方もいれば。
恐らく、もともとクリスマスなんて関係ないよ!と思う方もいれば。
仕事が忙しくてクリスマスどころじゃない!という方もおられるでしょう。

それらすべての方に、お伝えしたいのが。

にぎやかなクリスマス・パーティーの中でも。
一人で静かに過ごす、また黙々と仕事をしている中でも。

あなたの態度、反応、行動など。
あなたのありさま、姿、様子、状態を。

必ず誰かが見ているし、感じているという話です。

すると。

「え?誰かと一緒に、パーティーしているわけでもないよ。
誰も周りにいないし、部屋にオレ一人しかいないんだけど・・・。」

「もしかしたら、一人でいる私を神様が見ているとか?
クリスマスだからって、そんなことあるわけないでしょう。」

「おいおい、まさか・・・私が見守ってあげています!的な話?
別にそんなこと頼んでもいないし、ウットウしいこと言うなよ!」

と思われる方も、おられるかもしれません。

もちろん。神様が見ているとか、私がそっと見守っているとか。
サンタさんがそばにいるとか、そんな話をするつもりはないのです。

それでも、ちゃんと。

もし一人でいても、あなたを見ているんです。

ズバリ。それは、あなた自身です。

しかも。あなたは、他の人以上、まるで神様みたいに。
詳細に、済から済まであなたの「ありさま」を見抜いています。

というのも、人は誰でも。

いろいろな人の前や環境によって、態度や反応や行動が必ず変わります。

誰でも好きな人と嫌いな人の前では、大きく変わるのではないでしょうか?
会社でのあなたと家でのあなたは、何かが変わっているのではないですか?
大切なことをしている時とどーでもイイ時も、変わっているとは思いませんか?

こうして人は、いくつもの「顔」を使い分けているわけで。
別の言い方をすれば、人は「多重な人格」により構成されているのです。

だから。他の人から見たあなたの態度、反応、行動など。
あなたの「ありさま」は、その人が見たり、感じたりしたことであって。

あなたにとっては何分の一の断面、いくつかの人格の一つ。

それはまるで「白雪姫と7人の小人」のお話のように。
中心となる白雪姫に、泣き虫や怒りん坊、笑い上戸などの小人がいる状態。

相手や環境によって、甘えたくなりやすい、怒りっぽくなる、楽しくなる。

お話で7人の小人は「ハイホ~ハイホ~!仕事が好き!」と歌いながら。
白雪姫と一緒に暮らす家から森へ出かけ、そして仕事が終わると帰ってきます。

森の中で、それぞれの役目を果たして。
主たる人格、白雪姫のもとに戻るのです。

白雪姫は7人の小人が森で何をして、どう振る舞ったか?すべて知っています。
7人の小人の性格や行動や態度の良い点も悪い点も、すべて見抜いています。

このように白雪姫は「愛情」をもって、7人の小人をずっと見守っているのです。

そう。あなたは、いつでも、どこでも、どんな場面でも、どのような状況でも。
一人きりでも、大勢の中でも、あなた自身を愛する限り、見守り続けています。

仕事の時も、プライベートの時も、若い時も、年をとった時も。
あなたの「ありさま」を見続けている、1番の観察者であり、理解者です。

だから、実感されている方もいると思いますが。

たとえば仕事でも、プライベートでも、どんなことでも、どのような場面でも。
うまくやりたい!成功したい!相手に好かれたい!など、望みをかなえようと思って。

テクニック的なこと、やり方や進め方によって。
短期的にうまく行く、成功することはありますが。

良い関係も成功も、長続きせずに消え去っていくことが多い。
特に男女の恋愛や人間関係で、このようなことが起こりやすいのは。

テクニック、進め方、やり方より、普段の「ありさま」にフォーカスして。
自分の「あり方」はどこにあるのか?を意識しない結果だと言えるでしょう。

まさに今年の流行の「ありのままで」という言葉は。
このように、自分の「ありさま」や「あり方」が大切だ、と伝えると共に。

一方で、決して自分の「わが道を行けばよい」ということでなく。

自分自身を愛して、自分の「ありのまま」を大事にすると同じくらいに。
他の人の「ありのまま」も大事にする行動や姿に、言葉の本質があると思います。

というのも。白雪姫と7人の小人のお話では、白雪姫自身もまた。
王子さまからの「愛情」により、死の淵から復活を遂げることになるからです。

恐らく、人は誰でも一度や二度ならず。
自己嫌悪に陥ったり、こんなはずじゃない!と思ったり、悔しい思いをしたり。

自分を愛せなくなったり、他の人や環境の責任にしたりしたことがあるでしょう。

同時に思い起こせば、このような時や状況で。

他の人からの「愛情」を感じたり、また「ねぎらい」があったりしたことで。
救われた、助かった、今思えば役に立つ経験になったなどの思いが。

やはり一度や二度ならず、何かしらあるのではないでしょうか。

こうして人は。使い分けているいくつもの人格を含めて、自分自身を愛すること。
自分自身にOKを出して「ありのまま」を受け入れること、このことを基本に。

他に人にもOKを出して、他の人の「ありのまま」を受け入れることで。
安定した長期的な良い関係や成功が続く、仮につまづいても復活できる。

このことは、男女の恋愛に象徴される人間関係で感じることが多いでしょうが。
仕事も、社会生活も、すべて人間関係で成り立っているわけですから同じです。

言い換えれば、2代目経営者が必ずといって良いほど背負わされる経営上のテーマ。
引き継いだ会社の永続した長期的な繁栄や継承、継続という課題を考えた時に。

自分自身の考えや「ありのまま」を押し出すのと同じくらいに。
先代や社員の考えや「ありのまま」も受け入れていく柔軟性があって。

そのどちらも欠けることなく、バランスを失うことなく、経営を進めていく。

その結果、はじめて成しとげられることを示していると思います。

ではでは。みなさん、メリー・クリスマス!

あなた自身にカンパイ!
そして。まわりのすべての人にカンパイ!

2014年12月22日月曜日

年の瀬で思うこと -その2-

え~年の瀬、というお題を頂きまして。

今日は、趣向を変えて。
小話を一つ、お話しまひょ。

それは、年の瀬も押し迫った、ある忘年会の席どした。

江戸屋さん、大阪屋さん、尾張屋さんの若ダンさんが。
水炊きをつつっき、お酒飲んでワイワイガヤガヤしとりました・・・。

酔いも回った江戸屋の若ダンさん、こんなことを言い出します。

「大阪屋さん、聞いとくれやす、ウチの店な、なかなかお客さんが来てくれへん。
おとなりのお店は、店はピカピカの新築、ベッピンさんの売り子はおるわ、
ウチは、店も古い、売り子も・・・古漬けやしなぁ~・・・。」

すると、大阪屋の若ダンさん。

「江戸屋さん、ほしたら、お店も新しくして、売り子さんも雇ったらエエやないの。」

と。目の周りトロッ~とした顔で、答えはったんどす。

ところが、言い出した本人さんの江戸屋さんが。

「エエんや、ウチはコツコツと小さく商いできればそれでエエ。
そう先代のオヤジも話してましたわ~、ワテもそう思ってますのや。」

な~んてことを言わりますモンどすから。

「ほう~、えらく謙虚ですなぁ~江戸屋の若ダンさんは・・・。」

大阪屋さんもあきれて、イヤミ半分に答えたんどす。

ところが江戸屋の若ダンさん、ぜんぜん他人(ひと)の話を聞いとりません。

「いや~ほうなんです、謙虚につつましく、
これがウチの家訓ですわ!ワハハハハッ・・・。」

な~んてことをかえすわけでして。
カチ~ン!ときた大阪屋の若ダンさん。

「そら~謙虚とは違いますやろ、江戸屋さん、
変えられることを変えようと努力してないだけとちゃいますか~ね!尾張屋さん!」

と。黙って二人の話を聞いとった尾張屋の若ダンさんに、話をふったんどす。

そしたら、根がマジメな尾張屋さん。
お酒の席の話、流しとけばエエもんを。

シャキ!とされた顔をして、う~ん・・・としばらく考えてから。

「まぁ、たしかにそうかもしれまへんな。ハッキリ言わせてもらえば・・・。
江戸屋さん、あんさんは、自分を甘やかしとんちゃいます?」

と言ったモンですから、話はややこしくなって。

「そりゃ~キツイ言葉どすな~尾張屋さん!
もともとウチの店は小さいし、確かにお客さんも少ないけど。
長いことコツコツやってこれましたんや!
ほんで、大店にすするつもりもないし、
謙虚にやれれば、それでエエんどす!」

と江戸屋さんが応戦したから大変どす。

尾張屋さんも、赤い顔をもっと赤くして。

「ほうでっか、ワテには江戸屋さんは、先回りして自分を卑下して、
自分を甘やかすために、謙虚と言わはってるように聞こえますなぁ~」

と言いかえすわ、江戸屋さんも江戸屋さんで。

「ナニ言うてますやん!尾張屋さん!謙虚のどこが悪いんでっか!」

とかえすわで、せっかくの酒の席がドンドンと悪くなりまして。
こりゃ~いかん!と思いはった大阪屋の若ダンさんが仲に入ります。

「まぁまぁ、江戸屋さんも、ほんで尾張屋さんも、落ち着きなはれ。
謙虚とか、そやな、堅実というのもそうかもしれへんな、言葉としてはエエんやけど。」

と切り出したところ、またまた江戸屋さんが。

「そやろ!大阪屋さんも、そう思われるん?謙虚でエエやないの!」

と口をはさむモンどすから、大阪屋さんもムッ!としながら。

「まぁまぁ、江戸屋さん、話の腰を折らんと、聞いておくれやす!
謙虚というもんは、言葉としてはエエけど。
ヤルこと ヤラんと、口にすることもありますねん。」

と話すモンどすから、火に油。

「ヤルことヤラんて!ほなワシが商いに手ぬいてるって言うんかいな!」

と江戸屋さんは、目むいて。

「まぁ、ハッキリ言わせてもらえば、そうだとワテは思いますよ!」

と・・・。今度は尾張屋さん、横から口を突っ込むモンどすから・・・。

もう忘年会どころやおへん、ワテは帰らせてもらいます!と。
江戸屋の若ダンさん、プィ!とお座敷を出ていってしまいはりました・・・。

酔っぱらったとはいえ、この3人の若ダンさんたち。
つまらんことで感情的になって、若、といいうよりアホダンさんたちどすなぁ~。

たとえば、彼らの話に出てくる「謙虚」とか「商い」のあり方どすが。

何が正しいんか?間違(まちご)うてるんか?
何がエエんか?何が良くないんか?

だいだい世の中に広まっているこのような基準は。
どこかの誰かさんが、他のもんを押さえようとして。

世間にばらまいたり、言い訳に使(つこ)うたり。
時には自分らの権利や力を維持するために利用したり。

このように常識、とされているもんは。
実は誰かが誰かを型にハメようとして。

作ったもん、と考えてみると。

それは謙虚も、ほんで商いも同じとちゃうか?と思うんどす。

それにしても、この若ダンさんたち。
人間形成、人間関係に大切なコミュニケーション能力が。

つくづく、アカンな!低レベルや!と思うわけどすが。

たとえば社長と社員、親と子、友人や恋人でも。
人と人の会話、やり取りといったコミュニケーションも。

正しいも間違いもおへん気がします。

ほんでも、人のコミュニケーションは、時にして。
自分の意図とは違うところへ旅をします。

そうどす。コミュニケーション、というもんは。
他の人と自分だけ、とは限りまへん。

他の人に話した言葉は、そのまま自分もきいておるわけどして。

他の人との会話は、自分と自分の会話、自己内対話に。
西洋の言葉で言うたら、セルフ・コミュニケーションになるんどす。

ある意味で、他の人とのコミュニケーションより。
大事なんは、自分とのコミュニケーションかもしれまへんな。

そういう点で、謙虚という言葉は。
ええ言葉や!と思いますが。

一方で。自分をシバる、行動しないイイ訳、手抜きの材料などに。
意外と2代目の若ダンさんは、使うてるお人が多い気がするんどす。

謙虚、コミュニケーションの常識といわれるもの。
何が正しくて、間違うとるんか、何がエエもんで、悪いモンか・・・。

その意味や効果をしっかりと考えはって。

来年も、商いにお気張(ば)りやす!

2014年12月17日水曜日

年の瀬で思うこと -その1-

先週、知人の2代目経営者と食事をしながら。
今年一年間の日本経済や経営のことを話しました。

もう、かれこれ15年くらいになりましたが。

彼とは、経済、経営、ビジネス、2代目経営者のあり方など。
いろいろな角度から、好んで「深い話」をする間柄です。

その時、彼から出た言葉。

「世の中に流行しているものに真実はない」

という一言に刺激を受けました。

この言葉は、私が。

「最初に、たとえば金持ちになるとか、会社を大きくするとか。
他には幸せになるとか、夢を実現するとか、改革をするとか。

何か目標や目的があって、そのためにはどうすればよいか?
どういう考え方や進め方をすれば、うまくいくようになるのか?

という順番で、自分を含めて多くの人は考えていると思う。

そして、本やセミナーなどの「成功」や「自己啓発」に関係したものは。

その多くが、やはり「目標や目的を立てる、明確にする」から始まって。
そのための「計画」や「準備」や「行動」は、これがイイですよ~って。

まず目標や目的があって、その次に行動があると話している。

ところが本当は逆で、自分の行動や思いの先、その結果として。

お金が手に入った、会社が大きくなったとか。
幸せになれた、夢が実現した、改革が成功したとなるわけで。

たしかに人一倍に意志の強い人、成功への意欲が強い人など。
最初に目標や目的を立て、その後に自分の行動を合わせていける人もいるだろうけど。

そのような人は、目標や目的を達成した人の中では多くないと思う。

まず自分が思うように行動する、自分がやれる、やりたいことをしていった結果。
目標や目的が達成できた、という人の方が多い気がするんだけど・・・。」

という話をしたところ、かえってきた言葉でした。

そして、彼は続けて。

「世の中に流行していること、多くの人に受け入れられていること、多くの人が進む道には。
真実、本当の姿や実体はなくて、人が通らない道、知らない部分に隠れていると思うよ。

多くの本やセミナー、また新聞やテレビなどの情報は。
多くの人に受け入れられたい、多くの人にそう思ってもらいたくて出されている。

ところが、真実や実体は別のところにあって。

たとえば、本が何万冊も売れようが、情報に触れた何千万人がイイね!と言おうが。

現実には、本を読んだ人の千分の一か、イイね!と思った人の何万分の一か。
まぁ、その程度の人しか本や情報のとおりにはなれない、手にすることが出来ない。

だから。目標や目的が先にあって、現実や現在とのギャップを埋めるとか。
目標や目的を達成するための行動を決めるとか、多くの人が支持している順番は。

実のところ、真実ではなく。順番が反対じゃないかな。」

そう。人が、今まで(過去)も、今(現在)もできないことへ。
自分の夢に思うことへ踏み出す動機、きっかけとなるのは。

夢に向かって目標を立て、動き始めるより。
むしろ、危機に直面して、誰かに背中を突き飛ばされて動く。

こんなことの方が多いし、長く続く気がします。

この時期、もし来年のことを考えて。
自分の抱く目標や夢を手にしたいなら。

まずは、自分の思うように行動すること。
その結果として、何かを手に入れること。

この繰り返しの先に、はじめて目標や夢が達成できる。

このように考え、目標や夢を決める前に。

よし!こんなことをやろう!
こんなことなら出来る!などなど。

行動を決め、取り組むことが良いかもしれませんね。