「いらっしゃい!」
板さんの声が響く静かな寿司屋。
20名くらいは座れるだろうか?大きなカウンターには誰もいない。
いや、いくつかある小(こ)上がりの座敷にも客の姿は1人もない。
そりゃそうだ・・・。
時刻は、とっくに明日へ変わっていた。
オレはカウンターの奥目の席に身をゆだねることにした。
「二人なんだけど」
「ハイ、わかりました。お飲み物は何にしましょう?」
「そうだな、お酒をヌル燗で」
「ハイ、ありがとうございます。日本酒!ヌル燗お願いね!」
「あと、とりあえず酢ガキとウナギの肝焼きってまだあります?」
「ありますよ!」
「じゃそれと・・・あと適当にツマミで出して下さい」
「ハイ、ありがとうございます!」
出てきたヌル燗を半分ほど飲んで。
カキ、刺身、そして肝焼きを1本食べたところで。
店の自動ドアの開く音がした。
「いらっしゃい!おや、こんな時間にめずらしい!!」
あきらかに、オレの時よりテンションの高い声で。
板さんは、1人の女性客を迎え入れた。
「そうね、たまにはね!」
その女性は、そう応えながら。
コートを脱ぐとオレの隣に細い体をすべり込ませた。
「コート、かけておこうか?」
「うん、大丈夫。脚にかけておくから」
「適当にツマミは頼んでおいたけど。
ウナギの肝焼きもあったんだけど食べる?」
「うん、食べる!あとビール下さい!」
「あいよ!生ビール、一つね!」
彼女と板さんのやり取りは、妙に明るい。
深夜の寿司屋。
そのカウンターで、静かに。
ハードボイルドにキメよう・・・と思っていたオレ。
その思惑は外れ、明るい彼女に微笑ながら。
一日の疲れが飛んでいく流れに、それならそれと身を沈めて。
オレは、この雰囲気を楽しむことにした。
すると、板さんが声をかけたのか。
それとも、会話の声から察したのか。
奥から、主人が顔を出して。
「あれ?いらっしゃい!」
と言いながら、カウンター中央に陣取った。
「そういえば、Rちやん、会社を辞めたんだって?」
「そう、本人が申し出てきたから」
「へえ~そうなんだ」
「まぁ私としては、メンドウ見てきたと思っていたけど。
本人には、通じなかったみたい・・・
ワガママも色々と聞いて上げたんだけどね・・・」
「ふーん、そう」
「結局は、会社の他の子も巻き込んで。
その上、お客との約束もドタキャンして。
やりたいこと勝手にやって!って感じだったのよね。
それもこの4ヶ月、色々とあったのよ!ホントに!」
「そっか、それじゃ仕方ないね」
「だって、それで次はドコドコに決まっているから!
なんて、次に行く場所まで出されたら!おかしいでしょ?
それで引止めらんないと思ったし、第一、止める気もなくなったわ!」
・・・大将と彼女は、先ほど大将の前に陣取った一組の客が。
常連らしい客がいることも気にせず、大きな声でやり取りを続けた。
「そうなんだ、いや、辞めたってきいたから。
てっきり業界から、脚を洗ったと思っていたよ・・・」
「ちがうのよ!もう、同じ業種の会社で働いているの!
それでもこの間、外で顔合わせたから。
こっちから、明るく声をかけたんだけど。
ヘンなことに、ロクにあいさつも返さないのよね!」
「そりゃ、そうだね。挨拶できないって言うのはネ・・・」
「そうでしょ!おかしいでしょ!?
辞めたって挨拶くらいはできなくっちゃ!
自分にうしろめたい所がなければ挨拶できるでしょ!」
オレはオレで、直接的にも間接的にも。
この話を知っていたので、黙って酒を飲みながら聞いていた。
しかし。
「そうだね、Rちやんがイイ、悪いでなくて。
2人が合わなかった、そういうことじゃないかな?
甘いものが好きな人もいて。
辛いものが好きな人もいるわけで。
それで離れたんだから、それはそれで良かったじゃないの?」
と口をはさんだ。
「・・・たしかに・・・そうよね・・・」
「それに。血圧が上がるような話は、よくないんじゃない?」
「そうね、せっかく美味しいものを食べに来たんだから!」
「そうそう!お腹は大丈夫?何か握ってもらう?」
「うん、まずは何か巻物がいいかな・・・」
「そっか、じゃあ例の太巻きのY巻きとかどう?」
「そうね、N巻きも頼もう!板さん、お願いね!」
「はい!どうしましょう?Y巻きは食べやすいように。
いつもより細くも巻けますけど?どうします?」
「へえ~!出前の時もそうだっけ?」
「ハイ、出前の時も少し細めにしてまして。
それよりも細く、普通の巻物くらいにもできますけど?」
「それじゃ具材も少なくて、Y巻きじゃなくなるんじゃない?」
「大丈夫ですよ、安心してください!ちゃんと入れますから!」
「うん!それでも少し細めくらいで!お願いするわ!」
「はい!了解しました!」
そんな板さんと彼女のやり取りに釣られて。
「そうそう!板さん、愛情も一緒に巻いてあげて!」
と軽口をたたくオレ。
もうハードボイルドも何も、あったもんじゃない。
「ハイ!もちろん!愛をこめて巻きますから!」
「もう~そんなこと言って、この板さんはね、
他の子にも同じようにしているから!」
彼女も、オレの軽口に乗ってきた。
「それじゃ、愛のように真ん中に心じゃなくて。
下に心、下心だよなぁ~この板さんの!」
「そうね!下心ね!フフフフ!」
・・・こうして、いつもの笑顔に戻った彼女を見ながら。
そう、どんな会社でも、お店でも。
一度、辞めると言い出した人を引き止めるのは難しい。
ましてや、次に行くところを決めているとしたら。
それはあり得ない、というか筋が通らない話であって。
そんな筋が通らない人を雇っておくのは、危険過ぎる。
仮にその人が長年勤め、業績に貢献して、能力があっても。
また信頼も厚く、信用もしていて、頼りにしていたとしても。
そのため、辞めると社員やスタッフに動揺が走ったり。
何かしらの影響があったり、業績が低下したりしたとしても。
そして何よりも、その人が辞めることに。
他の誰より、自分自身がストレスや痛みを感じるとしても。
すべてを乗り越えて、辞めさせるべきだとさえ思う。
そうなのだ・・・Rちゃんの話をしているうちに。
血圧が上がってくるのは、相当のストレスがあった証拠だ。
彼女にストレスをもたらす、もう1人の自分。
そんな自分には、バイバイ!さよなら!だ。
・・・やがてオレたちは、楽しく飲み、話して、お腹も満たされて。
タクシーを1台呼んで、いつものように帰りの途につくことにした。
すっかり元気になった彼女と。
やや?酔いがまわったオレ。
このあと・・・。
2人の夜、というより明け方近くなっていたが。
オレたちの時間は。
2人が深い眠りにつくまで、しばらく続くのであった・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿