2015年12月21日月曜日

バー・カウンターでジントニックとシガーを

「いらっしゃいませ・・・」

「どうも・・・後から連れが1人来るんですけど」

「かしこまりました」

「それで、そうだな、今日はジントニックからお願いします」

「かしこまりました」

そう言うと彼、いや「彼」と言ってしまわない方が良い。

オレに16才の頃から、酒の味、文化、雰囲気を教えてくれた人。
そう、オレの酒の師匠とも言える人に「彼」はなかったな・・・。

この地域では、一番のベテラン・バーテンダーのKさん。
最近は「マスター」と呼ぶお客が多いが、馴染み客は名前で呼ぶ。

オレたち仲間にとっては、ガキの頃からずっとKさんだが。
Kさんは静かに手短な返事をすると、ボンベイサファイアのボトルに手を伸ばした。

その日も、突然の訪問だった。
もっとも、オレはバーに予約を入れるほどヤボじゃない。

そしてオレはいつもの席、一番奥のバーカウンターチェアに身を置いて。
となりの席に荷物を置くヤボなこと、コレもまた、いつもならしないのだが。

カウンターに「マスター」と呼ぶ輩(やから)が団体?で5名ほどいて。

バーカウンターにしては、騒がしくしているその連中との間に。
3席しかなかったので、あえて連れの席をキープするためカバンをおいた。

・・・バーに来て、男5人でカウンターね・・・・・。
しかも男にしては、おしゃべりでうるさいヤツラだな・・・・・・・・。

オレは心の中でつぶやいたが、「男にしては」と書けば。
バーカウンターが似合う女性に「ソレって女はおしゃべりってコト?」と怒られそうだ。

いやいや。そんなことを言うつもりは、ぜんぜんない。
またバーカウンターでは「男は黙って酒を飲め!」と言うつもりも、毛頭ない。

バーだっておしゃべりして、男も女も楽しくにぎやかに過ごして良いのだが。
にぎやか過ぎるのは、バー以外のレストランや飲食店でも迷惑な行為だと思う。

それほど彼らの話声は、他の人と隣接するカウンター席にしては大き過ぎて。
マル聞こえの内容に具体的な会社名など出ていて、ヤボな連中だっただけだ。

たとえて悪いが、ベテランのママを目当てに鼻の下を伸ばしたオッサンが。
カウンターを陣取るスナック、それはそれで味があるとしても、この店はちがうんだ。

いや、何よりも。スナックでもバーでも、カウンター席で。
男5人で連れ立って横並びなんて、絵にならない、ハッキリ言ってヤボだ。

「おまたせしました、ジントニックです・・・」

時間にして、こんなことを考えていたのも数分間だった。

オレのつまらんイラついた気持ちをすっーと静めるかのように。
Kさんの言葉と共に、そっと目の前にグラスがおかれた。

ジントニック。ジンとライムとトニックウォーターで構成された一杯。
シンプルだが、シンプルゆえにカクテルとしては奥が深いといえるだろう。

バーにより、それぞれの味があり、提供の仕方もちがう。
そのバーやバーテンダーさんの特徴、また好みが出やすいとも言える。

ちなみにマティーニも、同じジンベースで構成はシンプルだが。
まさに千差万別、カクテルのAにしてZ、入門にして卒業の一杯とも称される。

今、最新作が上映中の007、かのジェームズ・ボンドは。
ジンでなくウォッカで、しかもシェイクという指定までしている。

これが世に言うボンド・マティーニだが、シリーズ第1作で供された一杯が。
オマージュをこめて、最新作ではおもしろい形式で登場している。

そういえば。

先日の銀座のバーでお目当てにした一杯も、その店のオリジナル・マティーニ。
・・・そう、マティーニは、レシピがあるようでないのかもしれないな、と思い出しながら。

そのジントニックは、一口で心を静めるには十分すぎる一杯だった。

「いらっしゃいませ・・・」

「お待たせ・・・近いけどタクシーで来ちゃった・・・」

Kさんの声と共に、オレの隣に身を寄せる連れ。
タクシーで来た、少しでも早くアナタに会いたくて・・・なんて余分なセリフはない。

知り合いが見れば、不思議がるかもしれないが。
オレと連れは、二人きりの時は意外としゃべらない。

それでも、バーカウンターでの香水の話になって。
そして、それはシガー(葉巻)の話へと変わって言った。

「・・・反対に言えば、じゃなんでシガーはバーカウンターでOKなのか?

香りも強いのに、むしろ必需品として、酒のパートナーとして。
バーにはつきものだけど、香水がダメなのに!これじゃ不公平よ!って。

世の女性に言われそうな気もするね・・・」

「あら、シガーは当然でしょ?だってお酒の香りとシガーの香りのマリアージュ

きちんとしたフレンチのレストランでは、ワインとお料理と同じように
食後のお酒に合わせて、ソムリエさんがシガーをすすめてくれるわよね

・・・でも、あなたってシガーしないじゃない?いつも、お酒ばかりで・・・」

「ああ、興味があって、若い時にチャレンジしたいと思ったことがあってね
でもなんか、まだ背伸びしすぎかな、って感覚もあってさ、遠のいていたんだ

でも、そろそろ試してみようかな・・・始めるならこのKさんの店と決めていたんだ・・・」

「そうよね、アナタの師匠のお店だものね・・・でもこのお店、シガーなんてあったかしら?
目にしたことがない気がするわ?どこにあるの?見落としているのかしら?・・・」

「いや、シガーの品質を管理する意味もあって・・・
これ見よがしに、バックバー(カウンターうしろの棚)に置いていないだけさ

中には、これでもか!ってライトをあて、
バックバーのど真ん中にドーン!と飾っている店もあるけど・・・

ココはちがうんだ、シガーの状態を良好に保つためにきちんとしまってある・・・
たしか、そうですよね、Kさん?シガーのメニューもありましたよね・・・」

「はい、ウチでは品質を保つため、シガーは目に付くところにおいていません
ご興味がある、ご注文したい方にお声がけいただいて、初めてメニューをお出しします」

「そうですよね、それに銀座でしたっけ?初めてのバーでKさんがシガーを出して
アウェイ感いっぱいのカウンターが、一気に見る目が変わったという話は・・・」

「はい、銀座でなく、京都のバーの話です・・・職業柄、全国でバーはよく行きます
おもしろいもので、バーテンダーは同業者とわかるのですが、お客さんはわかりません

その日も、どこの誰が来たんだ?カウンターに陣取って・・・という目で見られていました

それがシガー大丈夫ですか?と聞いて、ポケットから出してシガー・カッターで切って
専用のライターで火をつけて味わい始めたんですが・・・ちょっとザワってして・・・・

アイツ、シガーを出したぞ!それに自分でカッター使って!専用ライターで!なんて!
何者なんだ?アイツは?・・・という感じが他のお客さんから伝わって来ました」

「なるほどね~・・・バーに通いなれた人間は、時に通っている常連よりも
バーテンダーさんに一目置かれることがあって、シガーもその一つ、って話

この間、したばかりなんですよ・・・」

・・・こうしてその日の夜も。

シガー以外にも、いろいろな話で盛り上がったが。
とうとうシガーは試すこともなく、楽しく連れと飲んだオレは。

ホームグランドをあとにした。

それでも思ったとおり、オレは酒を教わったKさんに。
次の機会に、シガーを教わった・・・少し大人の香りがする気分を味わいながら。

実に昔からのなじみのバー、いやバーに限らず通い続けているお店があるということは。
人生を豊かに、幸せにしてくれるものだ・・・これは、オレが曲げたくないポリシーの一つだ。

ぜひ2代目横丁の読者の方にも、男性・女性を問わず。
マイ・バー、通いなれた店、人生の止まり木を見つけて欲しいと思う。

では、次回は。
お寿司屋さんのカウンターで起きた事件についてお話しよう。

その事件は、バーで起きてきた一連の連続事件とは異なる性質の事件だ。

寿司屋さんのカウンターに関するものでなく、経営者としてリーダーとして。
社員やスタッフが辞めた、そんな時に感じるストレスについて少し話したい。

ではでは、また。
次の機会に、お会いしよう。

2015年12月15日火曜日

A君を想う・・・

「先輩、ホントにコイツはエライんですよ!」

・・・あれは10年ほど前のこと。

当時、地元で少しずつ評判が上がっていた新規開店のバー。
そのカウンターで、後輩のA君と2人で飲んでいた夜です。

後から1人で来た、後輩のB君が。
オレたちと肩を並べて、カウンターに座った時の第一声でした。

一緒にいたA君は、14才年下の後輩。
後から来たB君は、2才年下の後輩。

共に、ある青年経済人が集まる異業種の会で。
A君は現役、B君は卒業したばかり、私は卒業して数年が経っていました。

その青年経済人の会で、A君は自分自身のことでなく。
その会の諸先輩から、何かといろいろ言われていたらしく。

そのことに頭を下げていた、その姿がエライ!とB君は言い出したのです。

A君が何かと言われ、頭を下げていたこと。
それはA君の会社の先代社長、お父さんのことでした。

このお父さんもまた、同じ異業種の会に所属していました。
当然ながら、A君のお父さんを知る同世代の先輩方もいます。

そしてA君のお父さんは、自分にも周りの人にも厳格で。
周囲との摩擦を恐れず、ハッキリと意見を主張する方でしたので。

同世代の先輩方の中に、お父さんとハダがあわない方、嫌う方がいて。
A君は「オマエのオヤジは・・・」と、アーダコーダと言われていたのです。

このように、先代社長のことを世間からいろいろと言われる時。
特に男性の2代目社長が、父親である先代社長の評判を耳にする時。

数多くの2代目社長やその予備軍を目にしてきた経験と。
自分自身の経験からすれば、大きく3つのタイプに分かれる気がします。

というのも、考えてみれば。

2代目として先代から経営や会社を引き継ぐのは、財産の相続と同じです。
不動産やお金だけでなく、いろいろな目に見えない資産と負債が存在します。

先代に対する評価も、経営者として引き継いだ財産の一つ。
大事な資産もあれば、返さないといけない負債もあるからです。

そう、一つは2代目社長として自覚と責任があり、客観的に先代を見ているタイプ。
A君のように先代の負債を返しながら、社長として自分自身の資産を増やせていける人です。

二番目のタイプは、2代目社長として自覚と責任が薄く先代をライバルまたは無関係と考えて。
先代から相続しながら踏み倒して、社長として自分自身の負債を積み増している人です。

このタイプで、思い出すのは。
先代のお父さんとの約束を持ち出して、守ってくれるようにお願いした時に。

ある2代目社長が「そんなことは、先代に言ってくれ!」と怒り出して。
「もし文句があるなら、先代の位牌を自宅の庭に出してXXをかけてくれてイイから!」と。

言い放った事件です。

3つ目は、2代目社長として自覚と責任がほとんどなく先代にオンブにダッコのタイプ。
先代から本当の意味で経営や会社を相続してない、社長としてカタチだけの人です。

たぶん、このタイプの2代目社長は。
アナタの身の回りにも、何人かいないでしょうか?

肩書きは社長でも、先代にお伺いを立てないと返事ができない。
こんなことをしている2代目は、決して少なくない気がしています。

そんな・・・立派に先代からの資産も負債も引き継いで、自分自身の資産を積みまして。
自らの力でも、経営者として、リーダーとして、多くの資産を積み上げていたA君・・・・・・・・。

異業種の会で、数多くの若い仲間から慕われて。
社員を大切に、そして会社の業績をガンガンと伸ばしていた彼・・・・。

・・・そのA君が、10月半ば。

1年におよぶ闘病生活の中、社長としての職責を全(まっと)うしながら。
わずか40歳そこそこの若さで・・・・・亡くなってしまいました・・・・・・・・・・・・・・。

・・・このことを。

書き留めておきたい、と思いながら。
何度、このブログに掲載すべきか?迷ったことでしょう。

誰の眼に触れるか、わからないブログに書くべきことなのか?公開してよいのか?
自己満足の追悼記事にならないか?個人的に書き留めておけば良いのでは?・・・と。

悩み続けて、しばらくブログから離れていました。

たしかに、忙しく時間がなかったのも本当のことですが。
ブログを書く気になれない、それがブレーキとなっていたのも事実です。

そう。冒頭のバーでの話は、A君との思い出のエピソードの一つです。
それから、しばらくして。後でB君に話したのが、後段の先代の資産と負債の話です。

人は身近な人が亡くなった時、近しければ近しいほど。
それも、自分よりも若い人が亡くなった時にはなおさら。

心の整理がつくまで、より多くの時間がかかると思います。

そして亡くなった人に手を合わせながら、その人と自分の人生もふり返る。
いわゆる死生観を思い、生き残った者として、これからどう生きるべきか?と考える。

その結果。私の場合、ここにA君のことを記(しる)しておこうと。
同じ2代目経営者として、懸命に生きてきた彼のことを2代目横丁に記しておこうと。

それが先輩として、生き残った私の役目と思って。
今日、彼のことを書きつづる事にしました・・・。

A君のことは。

ただただ、残念であり、若すぎると思うばかりですが・・・。

その上で、このブログを読んでいるアナタに。
少しの時間、考えてもらいたいと願っています。

人は、生まれる場所と時間と。
亡くなる場所と時間は、自分では選べないといいます。

そうだからこそ、一生どころか、数年、1年、半年、1ヶ月とは言いません。
1日とも、半日とも、数時間とも、もしかしたら1時間とも言えないかもしれません。

30分でも、10分でも、今このブログを読んだ後の数分でも。
ホンのわずかと思える時間でよいので、悔いなく生きたいと。

このように思ってもらいたいと考えているのです。

これがA君のことをブログに記した、私の思いです・・・。

本当に、若すぎる・・・。
改めて、A君のご冥福を心から祈って。

合掌。

2015年12月11日金曜日

給与所得者は納税者?納税奴隷!?

最近、地元の新聞社さんなどが中心になって。
起業家を発掘する、育てるという事業が始まりました。

その中で、2代目経営者が既存の会社をベースに。
新しい戦略で、新規事業にチャレンジした実例が。

学生部門、新設企業部門など。
他の部門とあわせた総合評価で、最優秀賞になりました。

実は。この2代目経営者さんは、同業者で知人です。

社員11名の会社。

本社は、ハッキリ言って辺鄙(へんぴ)。
田舎の国道から、少し入った所にあります。

その会社が、海外で。
環境問題に取り組むビジネスで最優秀賞をとったのです。

このように。

身近な人、知っている人、地元の人、年令が近い人など。
なんとなくイメージが持てる人が、何かを成しとげると。

「何か自分にもできそうだな」
「何か自分もてきるんじゃないかな」と。

彼(彼女)ができたんだから。
自分も!と思うことが、誰でも1度はあると思います。

しかし。できそう、と。
できる、とは無限に離れています。

できそう、を別の視点で言い換えれば。
成功ゼロ、実績ゼロ、行動ゼロの世界。

できる、とは事の大小や程度は別にして。
何かに成功した、実績を出した、行動した世界。

ゼロと0.0001でも、そこには無限の格差が広がっています。

同じように。

やれること、と。
やっていること、も違います。

やれる、とは一定のレベルや程度に達した世界。
やっている、とはレベルや程度に関係ない世界。

プロとして自覚を持って仕事をしている状態が、やれる。
プロとは名ばかりで流れ作業をしている状態が、やっていると考えます。

私たちは経営者として、自分の経営を見る視点として。
また社員の仕事ぶりを見て、それを査定する立場として。

自分自身も、社員についても。
できそう、やっている、ことに高い点数はやれません。

できそう、やっている、に満足していては。
成長も、発展も、拡大も、成功もないでしょう。

そう、私たちは、自分自身にも、社員にも。

できる、やれる、ようになりたい!なってもらいたい!
できる、やれる、のレベルや程度を上げる!上げたい!と。

プロならば、職業としているならば。
このように思って仕事をしなくてはいけないはずです。

ところが、今の日本では。

できそう、やっている、で満足して。
できそう、やっている、で仕事をした気になって。

平気な顔して、給料や経費のお金を頂いて。
しかも平均的なビジネスマンより、かなり高額なお金を手にしている。

こんなトンでもない人種が、ほとんどを占める業界があります。

それは政治という業界、政治家という人種です。

「反対しても、票にならない」
「賛成すれば、票が減る」

これが、政治家の行動基準です。

どんな会社でも、その規模の大小に関係なく。
社員は給与所得者であり、納税は限りなく透明です。

同時に、その規模の大小に関係なく。
法人化された企業では、社長も給与所得者です。

そして。おそらく、多くの大会社の役職さんとか。
中小企業でも、そこそこのクラスの社長なら。

給与や所与や一時金などの給与所得の年収が。
1千万を超える人が、そんなに少なくないでしょうが。

実際は、年収が1千万を超す会社員は約199万人であって。
有権者の2%足らずという立場、少数派中の少数派なのです。

残りの98%の人から、成功した人、庶民じゃないと評されているので。
2%程度の極度な少数派の人たちをいじめるような法律や制度を作っても。

政治家の行動基準からすれば「票が増えても、減るわけない」のです。

その結果、消費税の食品関係の減免が。
声高かに論議されて、連日のようにマスコミでも騒がれる一方で。

この階層の人たちの増税や税率は高止まりしていて。
かなりの重税感がある、というのがホンネではないでしょうか。

実は。この2%の199万人で、所得税全体の25%を負担しているのです・・・。

しかも、一見すると所得税はお金持ちになる高収入ほど高くて。
最高は45%にもなるので、高い税負担も仕方ないようにも見えますが。

株式など金融資産を多く持つ資産家たち。
いわば本当のお金持ち、富裕層の人たちの税率は安いのです。

現実に、たとえば東京都下の銀行には。
一つの支店に、資産ウン十億円の人たちがかなりいます。

主に金融資産による売却益や利息、家賃など不労所得者で。
そんな彼らの暮らしぶりを見ると、給与所得がいかにバカらしいか。

こんな思いまで、起きてしまうほどノンビリと優雅に。
付き合いたい人とだけ付き合いながら、手取り所得を増やしています。

こうして、給与所得者は不公平感を持って。
労働対価に重税をかけられ、手取りを減らされて。

納税者でなく、納税奴隷として日本を支えていますが。

どうやら、さらに増税されるらしいです。

「社長の仕事は、社員のモチベーション・マネージメントにつきる」

と星のリゾートの星野社長は話していましたが。

政治家は、今の国を支えている給与所得者のモチベーションを。
下げることしか頭にないようで、日本人の納税意識が低いのも。

単たる国民性でなく、このような不公平な税制度にあると言えそうです。

2015年12月9日水曜日

1ヶ月あまりのお休み

マイッタ、という言葉が一番あっている表現だと思えます。

今年は、1月から何かと時間に追われることが多かったですが。

仕事だけでなく、組合のこと、そしてプライベートも。
すべてにおいて、これまでにないくらいガンガンと予定を入れて来ました。

そして、さまざまなお声がけやお誘いの中で生きて。
目の前の話や事柄に追われて、時間を消費、時には浪費。

そのピークが、10月~11月にやって来た結果。
このブログも、1ヶ月あまり休んでしまいました・・・。

時間を消費するとは、日常的に発生する業務や依頼を淡々とこなすこと。
目前のことや突発的なこともあり、緊急度が高いものへの対応と考えています。

浪費とは、緊急度が高いが重要度が低いことに時間を無駄遣いすること。
義理や儀礼やおつきあい、私の時間を奪いに来る多様な依頼などのことです。

本来は、投資、重要度が高いけれど、緊急度が低いもの。
たとえば、知的生産、健康維持、新しい事へのチャレンジやテストなど。

年当初から、24時間という限られた時間を投資にシフトしたいが。
なかなか叶うことなく、忸怩(じくじ)たる思いの中で時を過ごして来ました。

最近、ようやく少し落ち着いて。

その投資の時間を増やすために、どうしたらよいか?と。
ドタバタあえぎながら、時間の許す限り考えてみたのですが。

もちろん、手法としてはスケジュール管理やタイムマネージメントでしょうが。
根本的な考え方を間違えていて、このような現状があると感じていたので。

時間が。なぜなくなるのか?なぜ投資にまわせないのか?と悩んでみました。

その結果。

人とのかかわりをどうしていくのか?という工夫が足りないと時間はなくなる。
人とのかかわりをコントロールすることがタイムマネージメントの目的である。

という発想にたどり着きました。

なぜなら、人間社会にドップリとハマっている私を含めた多くの人にとって。
日常の時間とは、そのすべてが人とのかかわりから生まれるものだからです。

その一方で、投資とはタイミングが大事。

時間でも、株式でも、刻々と変化する未来からの流れの中で。
タイミングが合うものが現在、現実、事象となって現れて投資の機会が起こる。

タイミングが合わないものは、自分とは関係ないままに過去へと流れていく。
その合わない流れを無理に追えば、過去にとらわれ道に迷うことになる。

失った時間、失った株の損失、失った投資の機会、それらを取り戻そうと。
再投資するあまり、かえって状況が悪化、苦境に立たされる事例は多い気がします。

過去から現在、そして未来へ時間は流れるのでなく。
未来から現在、そして過去へ時間は流れていくのであって。

タイミング合わず、過去になったものは。
消失したものであり、まったく同じには手にできないのです。

そしてまた、人とのかかわりもタイミング、まさにご縁。

ご縁が未来からやって来て、ご縁が現在できて、時にはご縁は切れて過去となる。
だから来るご縁を大切に、できたご縁を育んで、切れたご縁は無理に追わない。

タイムマネージメントと程遠い状況で、生き急ぎ感は否めないのですが。
忙中閑あり、それなりに楽しみながら、心根をこのブログに綴り、愛する人とのご縁を紡いで。

今、どうにか生きている気がしています。

2横ブログ、復活です!