2015年8月28日金曜日

史上ワースト・ワン!ある2代目のセリフ

自分で商売をしている人、たとえば商店主や経営者や部門長など。
リーダーとして自覚や積極性があり、自ら先頭に立って行こう!という人も。

他の人からの指示や指導で仕事をしている人、一般的な会社員など。
主に他動的であり、あえて先頭には立たちたくないな!という人も。

商売をしている、仕事をしている以上は誰でも。
利益や売上げなどの結果や新商品の開発や経費節減などの成果を求められる。

そう。職業として、プロとして何かを行なう上で。
自らも他の人からも、社内からも社外からも、そして世間からも。

必ず求められるのが、結果や成果ではないでしょうか?

別の角度から言えば、結果や成果を求めないとしたら。
商売や仕事でなく、趣味やボランティア、またプロでなくアマチュアの話。

このように解釈ができるかもしれませんが、よくよく考えてみれば。

趣味でもコンクールの入選とか、自分自身の満足感、他の人からの評判とか。
ボランティアやアマチュアであっても、何かの結果や成果を求めて活動するわけで。

だから、たとえばスポーツやトレッキングなど体を動かすことでも。
俳句をつくる、小説を書く、絵を描くなど頭や感性を使うようなことでも。

そして、商売や仕事などビジネスの分野は言うまでもなく。

結果や成果が得られるやり方や考え方など、いわゆるノウハウ本とか。
結果や成果を得た人の体験や行動パターンなど、いわゆる成功者本とか。

出版不況と言われて、活字離れや本離れが進んでいるとされても。
印刷された本でもデジタル化された文字でも、書店でもネット販売でも。

ノウハウ本やノウハウの情報、成功者本や成功者に関する情報は。
今の世の中にあふれ、ということは多く人が欲しているのだと思います。

ちがう言い方をすれば、どんな行動についても結果や成果がすべて。
100%すべてとは言わないまでも、結果や成果に対する欲求は高い割合を占める。

そのため、結果や成果が気になる、思うような結果や成果を得たい。
成功したい、評判を得たい、反対に失敗したくない、批評は受けたくない。

これが多くの人が持つ心理であって、たとえば。

もし今のやり方を変えて、商売が傾いたらどうしよう?仕事に失敗したら?
もしこんなプライベートの姿を他の人に見られたら?こんな趣味を知られたら?
もしかしたら他にもっとイイ方法とか、もっと短期間で成果が出るやり方があるのでは?

などなど、このように思うと。

商売も仕事も、自分のプライベートも、なかなか行動に移せない。
行動が狭くなる、制限される、ある意味で行動に臆病になるなど。

誰でも、それなりに結果や成果に対する不安感みたいなものを抱いていると思います。

中でも、特に2代目といわれる人たちには自分の行動について。
子どもの頃から、イイ子でいなさい!これはダメ!こうしなさい!など。

いろいろな面で制限をされていることが多く、行動に対して慎重というか。
世間体や近所や地域の評判を気にする、気にしすぎるという傾向が強くて。

石橋を叩いても渡らない人、先代から継いだものを守ることに熱心な人がいる一方で。

世間体や他の人の評判、さらに先代に対する評価や実績を気にするあまりに。
無謀な行動や放蕩に走り、引き継いだ資産や良い評判を壊す人も少なくありません。

「2代目師匠さん、オヤジが言った約束はオヤジのこと、オレはオレですよ
死んだオヤジに言いたいことがあるなら、位牌があるから庭先に出しますよ
それで文句があるなら位牌にXX(とても書けません!)をかけてもらって結構です!」

と言った同業者の2代目社長は、先代が亡くなり会社を引き継いでしばらくすると。
いつの間にか会社の資産を外部に引っ張るだけ引っ張って、計画的に倒産します。

こうして社員、そして取引先や仕入先に多大な迷惑をかけながらも。

今も経営規模を縮小して、同じ商売やっているので。
その後の「失われた20年」での大きな苦労や試練を避けて。

経営者とすれば、早めに「うまく逃げ切った」??「リストラに成功した」??

・・・と思っている人も、いるかもしれません。
また商売を続けているという点では、結果や成果を出しているのかもしれませんが。

経営者というか、2代目というか、それ以前に人として。
私とはハダが合わない、相容(あいい)れない人でした。

そう。言うにこと欠いて、まさか先代の位牌に・・・。

実は、この先代には若い時から可愛がって頂いて。
商売のことを教えてもらったり、いろいろな商売のやり取りもあったり。

プライベートでも、いろいろと目をかけてくれた方でした。

その上で。

「2代目師匠くん、ウチの息子はどうだい?他の若い2代目と比べてさ
うまく商売をやっていけそうかい?オレの跡を継がせて大丈夫かな?」

と言われた時、すでに他の2代目や共通の仕入先や取引先から。
あまりパッとしない評判を耳にして、実際に彼の行動にもクエスチョンがつくもの多くて。

ホンネでは「ヤバいかな?」と思っていたのですが、この先代に心配をかけたくなくて。

「大丈夫ですよ、彼なら立派に跡を継ぎますよ!
それに社長のところは、経営が安定していて資産も豊富じゃないですか!
よほど市場や経済事情が大きく変わらない限り、おかしくなることもありませんよ!」

と応えて、そうかそうか!と目を細めてお酒を飲んでいた先代の顔を思い浮かべると。

彼の「先代の位牌を・・・」というセリフは、先代の思いを知っているつもりだけに。
2代目経営者から耳にしたセリフ、ダントツのワースト・ワンと言わざるを得ません。

結果を出す、成果を得る、たしかに大事なことです。

商売や仕事、プロである以上、いくらプロセスや理念が立派でも。
結果や成果につながらないことは、意味がないのかもしれません。

さらにプロセスや理念が立派なら、必ず結果や成果がついてくるほど。
商売や仕事は、簡単なものでも、キレイ事で済むことでもないと実感もしています。

そんな思いがある中で。
昨日、ある言葉を目にしました。

「物ごとのやり方を決めるのは、人間ではなく自然である」

一見、表面上は。
いや実際に、現実の社会では。

人は商売や仕事、趣味やプライベートで、自分で考え行動して。
望む結果や成果を得るために、ノウハウや成功事例を探して。

やり方や考え方を決めていると思うのですが。

物ごとのやり方は「人間でなく自然が決めている」と考えたら。

商売や仕事の結果や成果も、自然の産物であって。
100%完全に、予測も計画もコントロールもできない。

このように思えて、ワースト・ワンのセリフを吐いたあの2代目も。
それに嫌悪さえ覚えながら、キレイ事ばかりでないと骨身にしみている私も。

やり方を自然の中に身を委ねて決めている、と考えることができて。

結果や成果も自然の中、気にしすぎてはいけないと。

改めて、思ったのでした。

ではでは。また。


2015年8月21日金曜日

日々の試練と恋

ある本のご紹介を頂いた記事に出ているものですが。

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「言葉の力を弱める8つの落とし穴」というものがありまして。

・約束を破る
・不用意な言葉を使う
・悪口を言う
・裏口をつくる
・前言を否定する
・噂話をする
・しゃべりすぎる
・知的不誠実

という8つなのですが。

特に、前段の「約束を・・・」から「噂話を・・・」の6つは。
たしかに言葉の力が弱まることも、そうでしょうが。

極めて不誠実で、不信感をもたれる人物だと。
そう感じさせてしまう、6つの話ぶりだと感じました。

実は、一昨日。
この6つにピッタリの話をする人と。

2時間ほど、商談になりました。

結果として、当初の予定どおりの成果として。
商売にはなったのですが、後味の悪い気分になりました。

何回、テーブルを蹴飛ばして。
席を立ってやろう、商談を中止しようと。

破壊的、感情的な衝動に駆られながら。
ひたすら、ある意味では耐えていたのです。

すると、ご商売が上手な経営者の方からとか。
日々、セールスや営業で身を粉にして働いている方からは。

「なんだ、商売人ならそんなこと気にしてちゃいけないよ!」
「相手が不誠実であろうと、商いになったんだからイイじゃない!」
「商談をまとめたいんだったら、それくらいのことは当然じゃないの?」

など。商人は、頭を下げてナンボ!という声が聞こえてきそうです。

でも、私のストレスは120%を超えて。
次の機会でどういうものか?は、お話しますが。

私の心の中にある「怒りのスタンプカード」というものが満杯になって。

TUTAYAカードやポンタカードなどと同様に。
他の店でためたスタンプをその店で使うかのように。

一昨日はスタンプを使って、商談の相手とは別の人に。
怒りをばらまくような発言と行動に出てしまいました。

そう。冒頭に取り上げた「8つの落とし穴」の中の6つにあるように。
怒りにまかせて、不用意な言葉を使い、悪口を言って、噂話をしたのです。

その中で、一昨日の夜は。
あることで、怒りを癒すことが出来ました。

そして今朝、この本の紹介記事を目にして。
おお!これは!と目をうばわれた言葉がありました。

『大成功を収めた人たちは。
日々の試練と恋に落ちる方法を知っている』

という言葉です。

はじめ、この言葉を目にして一瞬。

成功を収める人は「日々の試練」と。
加えて「恋に落ちる方法」の2つを知っている人なんだ!と思いました。

なぜなら、一昨日の夜に「怒りのスタンプ」を減らせたのは。
自分の中にある恋心であり、それを伝える言葉であったからです。

心理学的にも、他人への怒りや嫌悪も、自分自身への怒りや嫌悪も。
自分の中にある愛、何かや誰かそして自分自身を愛することとか。

その愛に気づくこと、愛の言葉を何かや誰かや自分に投げかけることによって。
怒りや嫌悪をマネージメントできる、減らしたり、転換できたりすると言われています。

ですから、成功するためには「日々の試練」と「恋」が必要で。
そのことを知っている人になること、と解釈してしまったのです。

しかし、この後に続く言葉。

『成功者とは、目標を達成するために、面倒くさいことや
気が進まないことでも、我慢して実行できる人である』

という言葉を見た時に、あ!そうか!と。
2つのこと「日々の試練」と「恋」ではなくて。

「日々の試練と恋に落ちること」というワンフレーズだったのか!
と気づかされて、恋という言葉に反応した自分が恥かしい・・・。

・・・・・でも・・・いくつになっても、何回しても、恋は素敵だと・・・。
・・・それに試練と恋に落ちるほど、オレはできちゃいないな・・・と。

このように思った次第です。

さてさて。

あなたは、最初から「日々の試練と恋に落ちる」と理解できましたか?
それとも、私と同じく「日々の試練」と「恋に落ちる」と思ってしまいましたか?
もしかしたら、まったく別の解釈や気づきをあなたは感じたのでしょうか?

そして、あなたは。
何か、誰か、自分と「恋に落ちて」いますか?

このあと、この本では。
成功へ向かうために必要な行動について、書かれているのですが。



それは、後ほど。
改めて別の機会にお伝えします。

ではでは。また。

2015年8月11日火曜日

夫婦喧嘩が犬なら、親子喧嘩はサル?

あの大作「ローマ人の物語」の作者、塩野七生さんが。

「多くの人は見たいと欲するものしか見ない」

というカエサルの言葉がお好きだそうで。
その中で、リーダーと一兵卒について。

見るものが違うかと言ったら、 本当は同じ。
だけど一兵卒は、その重要性に気づかない。

いや、気づきたくないわけで。
たとえば敵が来るなんて思いたくないから敵を見ない。

そこが、リーダーとリーダーでない人の間に存在する、厳とした差。

という話をしています。

そう、会社経営だとすれば。
塩野さんが話されている、リーダーとリーダーでない人とは。

まさに、社長と社員、部門長と部下、といったところでしょうか?

それに2代目経営者にとっては、もっとやっかいな存在。
自分が社長、会社のリーダーになったのですが。

リーダーでない人、しかも自分をリーダーと認めない人たち。

社長の座を譲ったにもかかわらず、口をはさむ先代社長に始まって。
先代の頃からいる古参幹部、お手並み拝見と黙っている社員など。

この人たちも「見たいと欲するものしか見ない」のです。

すると。

「え?でも、それは先代の親心でしょ?心配しているんですよ」
「頼りない2代目ボンボンをサポートしようとしている、イイ社員じゃないか」
「実績も実力もないのに、肩書きだけではリーダーになれないってことさ」

という声が聞こえてきそうですが。

実は心理学的にも、判断がわかれる、言い切れない、不明な事柄。
たとえば会社経営、世間が騒ぐ安保法制や原子力発電の是非など。

たしかに人は最初から見たい、信じたいことの裏付けや評価を探して。

たとえば業界や市場のある一段面を中心に見る、自分の実績を信じる。
戦争になった過去を見る、現状の中国を見る、放射能の危険性だけ信じる。

最初から直感で、実は個人的な経験で、過去の結果で、一断面の報道で。
最初から決めているにも関わらず、あたかも客観的で理論的だとして。

たとえば業界の動向はこうだ、市場はこうだ、ウチの会社はこうだ、とか。
戦争になる?戦争回避になる?とか、今の原子力規制の安全の可否、とか。

自分の主張や考えが正しいとしたがるのです。

しかし、リーダーは。
そうは、いけません。

見たくないものを見る、信じたくないことの可能性を考えなければ。
会社や国が大きく傾くことも起こるわけで、大きな視野が必要です。

そして。得てして、経営でも国際情勢でも、実際にたびたび起こるのが。
見たくない脅威、信じたくない事故、その結果としての悪い事態ですが。

たとえ運が良いこと、良い結果であっても。

見たくないというか、見てなかったこと。
願っていないというか、願っていない以上の結果もよくあって。

その点で「幸運の女神」は、前髪もない坊主頭の結果論なのですが。
見たくないものや信じたくないものまで、見る必要は良悪の双方にあります。

特に、私たち2代目経営者は。
たとえ結果が良くても、また仮に悪くでも。

見たくないもの、それは見たくない自分の姿や態度。
そして、自分はよく見ていた!と思っていた人や事も含めて。

信じたくないこと、これもまた信じたくない自分の行動。
そして、この人は!これは!と信じていて人や事も含めて。

見たくないものを見ようとしたり、信じたくないものの可能性を考えようとしたり。

こういう感覚を身につけていた方が、より良いと思います。

というのも、先ほどの話。

たしかに、先代や古参幹部は「良かれと思って」口をはさむ。
社員は「肩書きでなく実力で」と、あたり前の感覚でいるだけかもしれません。

でも、あなたがリーダーなのです。

先代も古参幹部も、自分の成功体験や過去の実績で。
自分が見てきたこと、信じてきたことを言っているのです。

社員は、自分の立場や習慣、クセや好み、また過去の社内慣習などで。
自分が見てきたこと、信じてきたことに基づいて行動しているのです。

もちろん、私たち2代目経営者もそうです。

本で読みかじった知識、しかも自分好みの理論や手法。
若い世代感覚で感じる社内や業界や市場の雰囲気や慣習など。

それをリーダーになったから、振りかざそうとしたり。
先代や古参幹部や社員、業界や市場にぶつけてみたり。

リーダーとして「見たくないものまで見る」のでなく。
自分自身や物事に関して「見たいと欲するものしか見ない」タイプ。

むしろ、創業者や古参幹部や社員や同業他社のベテラン経営者よりも。
見たいものしか見ない2代目経営者のほうが、多いと感じることさえあります。

ただし。これも私自身が見たい、信じたいと思っている考えです。
だから賛否両論、好き嫌い、賛同や批判の両方があって当然です。

ただ否定されても、嫌いでも、批判しても。
それもまた、あなたが見たくないだけのこと。

リーダーならば、そこに気をつけなくてはいけない。
いわゆる「器を広げる」ために、見る努力が必要ではないでしょうか。

古いコマーシャルですが「反省だけならサルでもできる」というコピーがありました。
元気をなくて、飲みすぎや食べ過ぎで、その時に!その前に!という薬の宣伝でした。

もし「見たいもの」や「信じたいもの」だけ、頑なに見たり、信じたりしていれば。
反省もなく、否定や批判するだけで論議にならず、ただただ感情的になるだけですが。

先代と2代目、血縁があるからこそ感情が先に立つ。
株主総会のあとは、裁判になっているどこかの家具屋さんではありませんが。

この手の話、2代目にはよくあるものです。

夫婦喧嘩は、犬も食わぬなら。
あのような親子喧嘩は、世間やはたから見れば。

まさに、サルにも劣ると言ったら。
言い過ぎかもしれませんね・・・関係者の方、お許しを・。

2015年8月6日木曜日

他の人をモノとして扱えば・・・

さてさて、前回の話の続きでございます。

昨年、先代で創業者の父を亡くした備前屋の2代目の若だんな。
ご城下の商い仲間で、中堅どころの越後屋に「ちょっと相談が・・・」と。

神妙な面持ちで、もちかけまして。
2人は人目につかない場所で会ったのですが。

てっきり、商いの相談だと思っていた越後屋の想像とは違って。
備前屋の若だんなからの相談は「女性のこと」でありました・・・。

それが、今から10日ほど前の出来事です。
その時をふり返りながら、越後屋と女将の会話は進みます。

○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○

「・・・それでね、備前屋さんは雑談の後、こう切り出したんだ・・・」

越後屋は、女将が注いでくれた酒をクッ!と飲み干すと。

「越後屋さん、本日ご相談があったのは、ほかでもございません・・・
実はある料理屋に奉公しています女中と・・・ひょんなことから・・・・

男女の仲になりまして、お恥ずかしいお話、その関係を続けたい、と・・・
このように話しましたところ、それならお手当てが欲しいと言われて・・・」

やや芝居がかった口調で、あの日の備前屋との話を語りだしました。

「自分には、弟がいて面倒も見なけりゃいけない、だからお金がいると・・・
・・・そこで備前屋の若だんなは、こういう時には、普通にお金は出すもので
越後屋さんも、そうしていますか?と・・・・こう、私に尋ねるんだ・・・・・・」

すると女将は、口元に微笑を浮かべながら。

「そないな話・・・あんさんも、されたことあるんどすか?・・・
ほんでお相手に、お金を渡したりしはったんどすか?・・・」

と言いながら、越後屋の手のひらの上に自分の人差し指を重ねて。
やさしくそっと、ゆっくり回すようになぞって来ました。

「と、とんでもないよ!私には、そんな経験はないさ!
でもね、世間ではよく耳にする話、だとは思うんだよ

かわら版に書かれたり、どこの誰とは言えないけれど
実際にお金を渡したというお人もいたりするからねぇ~」

やや慌てて、こう応える越後屋を見て。
クスっと笑う女将に、やられた!からかっただけか!と思いながら。

「少なくとも、私には経験がないけれど、お金のやりとりをする人もいるわけで・・・
で、備前屋さん、あんたはお金を渡してあげたの?と彼に尋ね返したんだよ・・・・・・

すると、いや、渡していない、でも渡した方が良いのか?
それとも断るべきなのか?・・・越後屋さんならどうしますか?ときいてくるんだ・・・」

こう越後屋は、話を続けるのでした。

「そんなん、よう答えられへん話どすな、難儀なお話・・・」

こういいながら、女将は越後屋の空いた杯にお酒を注いで。
越後屋もまた、ご返杯とばかりに、女将の杯にお酒を注ぎながら。

「そうなんだよ、厄介な話さ、どっちでも備前屋さんが自分で決めればイイ
そこで、若だんなは渡したくないの?それとも渡したいと思っているの?って・・・

そしたら、今まで自分はお金を渡したことはない、渡すには違和感がある・・・
それでも一般的にどうなのか?越後屋さんなら経験あるだろうし・・・・それに・・・・・・・」

とここまで言いかけて、言葉を飲み込む越後屋に。

「それに・・・なんどすか?・・・」

中途半端な言い方に、女将は少し首をかしげながら尋ねます。

「・・・いや、なに・・・・それに、越後屋さんは女将にいくら出してるんですか?と・・・
オマエにお金を出して、この店をやらせているんでしょう?と言うんだよ・・・・」

すると女将は、ヤレヤレまたかと。

「・・・フ~・・・そのお話どすか・・・男衆は、すぐしょうもないこと、言わはりますな~
あんさんをいれて、6人くらいのお人に、うっとこはお金を出してもらったって・・・・

こないな話になってます・・・もう、すかたんもエエところ・・・アホらしくて反論する気かて
何回も言われるうちに、なくなってます・・・うちは自分のお金でお店出したんどすけど・・・」

つまらん男どものウワサに、あきれるのでした。

そして、越後屋も越後屋で。

「そうだろう?私のことはどうでもイイとして、オマエに無礼でぶしつけな話さ・・・
というか、備前屋の若だんなの若さというか、人としての厚みがまだないというか・・・

それで、静かに、まず金など出していませんよ、それに、男と女の間にお金をはさむのは
ヤボなこと、ヤボ天のすることです、私はヤボなことをしたことないし、する気もありません

ただ備前屋さん、お金をはさみたがる女性もいる、別に悪気があるわけじゃない・・・・
聞けば弟さんがいる、お金がいるっていう話、それはそれで、まず認めてあげだ上で

それでもお金を出したければ出せばイイ、出したくなければ断ればイイ、自分で決めること
イイも悪いもない、自分がしたいか?したくないか?であって、一般論は関係ないと思う・・・

こう話してやったら、確かにそうですね、と若だんなも話がわかってくれたようで・・・・
ちょっと自分なりに考えてみます、という結論になったんだけど・・・・・・」

と半ば、あきれながら事の次第を話した上で。

「男と女の仲をお金を尺度にして見るようになると、商いもイイことがない気がしてね
本来なら、お金は出さない方が・・・と備前屋の若だんなに言うべきでは?とも感じたんだよ・・・

たとえば商い仲間のある大店(おおだな)の2代目は、その昔にタチの悪い女にひっかかって
お店までお金を取り立てに来られて、ウワサも広まって、このお城下にいられなくなったり・・・

あるお店の2代目は、水茶屋の女に手を出して、その女とどんな約束をしたかしらないが・・・
ある朝、お店の木戸に事の顛末を張り出されたり、看板に女の肌着か巻き付けられたり・・・

店の丁稚から小僧に至るまで、2代目のことをカゲであきれて、愛想をつかしていて・・・
とうとう先代から仕えていた大番頭さんが、別のお店に移ってしまって、店が傾いて・・・」

このように、女性関係で大きな失敗になった2代目について語るのでした・・・。

「そういえば昔、お店を継いで間もない頃、商い上手で、気もよく回って
先代の時の10倍にお店を広げた徳島屋さん、というお店の今の2代目は

女性関係も盛んで、私が見たり、耳にしたりしだけでも片手じゃ足りないくらい
いろいろなタイプの女性、チョー美人から、どうして?と首を傾けたくなる女性まで

あちこちで浮名を流して、それでもトラブルが一つもなくて、スゴイお人だけど
その方が言うには、お金の話を含めて、女性をモノのように扱うとダメだ、って

でも2代目には、勘違い野郎が少なくなくて、飲みに行ったも、遊びに行っても
モノのように扱うヤカラがいて、得てしてそういう2代目の店は早晩、傾くことになる

こんな話をしていたけど、確かにそのとおりだと思うな・・・・・もっとも、2代目に限らず
他の人、特に女性をモノとして扱ような男は、商いも仕事も大成しないな、そう思うよ」

何やら、遠くを見つめながら。
かみしめるような話し方をする越後屋に。

「男はんだけとは限りまへんえ、女も男をモノのように扱えば・・・えげつないお人は・・・
男も女もあきまへん・・・さぁ、そんなしんきくさい話は止めて、今晩はゆっくり・・・・・・」

やさしく手を取り、しだれかかる女将。
どうやら越後屋と女将の間は、ヤボではないようで・・・。

というわけで。

越後屋の商い帳シリーズ、女性関係のお話。
ここいらあたりで、お開きとさせていただきます。

ではでは。次のお話でお会いできます日まで。
お後がよろしいようで、しばらくのお別れでございます・・・・。

2015年8月1日土曜日

2代目の若だんな 商いの次に失敗が多いのは!?

どこぞの町と同じで。
この物語の舞台である、とある城下町も。

風鈴がちりん、ちりん。
そんな優雅な夕涼みとは、無縁の暑い日が続いております。

まぁ、それはそれとして。
よし夏だ!今年はガンバるゾ!と。

気合十分なお天道様には、ちょっと申しわけないですが。

今日も今日とて、越後屋はなじみのお店で。
やや明るい夕刻のうちから、しっとりと女将と過ごしおりました。

「なぁ、女将・・・先日の若い二人との話だけど・・・」

「先日?・・・あぁぁ!あの武蔵屋と庄内屋の若だんさんとのお話どすなぁ~」

そう。女将は、越後屋と二人きりの時は。
生まれ育った京言葉で、時おり応えるのですが。

京にいたのも、まだ10代のころ。
女として、より一層の磨きがかかった今は。

人前でめったに、京言葉を使うことはありません。

「あの時に、チャンスの女神の話をしたけれどさ」

「はい、確かに」

「ようするに、チャンスとピンチはよく入れ替わる
チャンスと思っても調子に乗ると、足元をすくわれるって話なんだが・・・」

「はい、そうどしたなぁ」

「いやね、イヤな感はあたるというか・・・老婆心の話だったんだけど・・・
やはり大商いをまとめた庄内屋さん、ちょっとムリがあったみたいでね・・・」

「・・・何か、あったんどすか?庄内屋はん・・・」

「うん、やはり商い中にしくじって、大変なことになっているらしいわ・・・」

「そうどしたか・・・」

「それで、何か寝覚めが悪くてね・・・自分の予感があたった、ヤッパリな!という気持ち
あと言わんこっちゃない、それ見たことか!という気持ち、それにもう一つ・・・・」

「・・・もう一つ?・・・なんどすの?」

「いや、心のどこかで・・・失敗するように期待していたというか、何というか・・・
それで寝覚めが悪くて、今日はこうして一人で女将に会いに来たわけさ」

「そうどしたか・・・越後屋のだんはんは、ホンマにお優しい方どすなぁ~・・・」

「いや、やさしいわけじゃないよ・・・細かいところが気になるだけというか・・・
やはり他の人の不幸を願ったようで、そんな自分がイヤなんだろうね・・・」

「それが優しさとちがいますか・・・そんなあんさんが好きどす・・・ウチは・・・」

こういうと、やさしく頬を越後屋の肩に乗せる女将。

「ありがとう、オレも同じさ・・・」

そういって女将の肩をそっと抱く越後屋。

「・・・・そうそう、惚れた、好きだ、という話で一つ思いだしたよ・・・」

「へぇ、なんどすの?」

そっと杯に酒を注ぎながら、上目遣いで女将は越後屋を見上げます。
その色っぽさに、胸をキュンとつかまれる越後屋。

「・・・つくづく、思うわ・・・年がいくつになっても、何回も恋をして来たとしても・・・
恋に落ちたときめきと恋を失った悲しみに、慣れることはないもんだな・・・」

と、独り言のように女将につぶきます。

「それはウチも一緒どす、こんなお店をしてると
ぎょうさん、男衆はんを女将として見てきたんどすが・・・」

今日は二人きり、ということでお酒を付き合ってくれている女将に。
今度はそっと、越後屋がお酒を注ぐと。

「女将でなく、一人の女として・・・
好いたお人を見る眼は、それとは別のもんどすぇ・・・」

杯に少し口をつけながら、よりいっそう潤んだ瞳で。
女将は、越後屋に微笑みかけるのでした。

「そりゃ女将から好かれるなんて、男冥利につきるなぁ~
どこのどいつや?うらやましいかぎりだわ~」

「いけずせんといて下さい、知ってはるくせに・・・
思い出したって、そんな話どしたん?ウチの気持ちどすか?」

少しすねたように、越後屋の手をぎゅっと握る女将でした。

「ち、ちがうよ!女将の気持ちじゃないよ!
いやね、この間、備前屋の若だんなから相談があるって言われてね・・・」

年甲斐もなく、慌てた越後屋は。
女将の手のひらで、コロコロ転がされる若造のようです。

そんな越後屋の様子に、クスッ!笑いながら。

「備前屋はんって、昨年にお父さまを亡くして、跡を継ぎはったって言う・・・」

「そうそう、その跡を継いだ備前屋の2代目さ、それが相談ごとがあるというんで
人目につかないように、となりの宿場町の料理屋で会ったんだよ、そしたらね・・・」

「そしたら?」

「てっきり商いの相談かと思ったら、ちがうんだ、女、女の相談さ」

「おんな?なんでまた、越後屋はんに女の相談を・・・」

「そうだろう、そしたら、備前屋さんこういうんだ、
越後屋さんは女にも慣れているようだから、相談したって・・・」

「そうどしたか・・・越後屋はんは、おなごの扱いに慣れてるんどすか?・・・」

「おいおい女将、かんべんしておくれ、オマエが一番知っているじゃないか
こう見えてもオレは、あちらこちらで浮名を流すようなヤツじゃないって・・・」

「・・・フフフ、そうどすなぁ~あんさんは・・・出会ったころは・・・
こんな風にお店にも来いへんような、まるで漬物石みたいなお人どしたから・・・」

「漬物石ってか!そりゃ通い詰めるお店もなく、いつもおつきあいばかり・・・
そこまで思わせるおなごもおらんかったしな・・・オマエに出会うまでは・・・

・・・おっと!・・・おいおい、その話じゃないよ、備前屋の2代目の話さ・・・
どうもいかんなぁ~オマエと話していると、話が横道にそれていかん・・・・・・」

相変わらず、1人の男というか。
女将の前では、素にもどる越後屋でしたが。

「ようするに、何が言いたいか?って言うと、商いをやっているといろんな誘惑がある
一つは、さっき話に出た庄内屋さん、商いに対する欲、大きく儲けたい!という気持ち

そして儲けた人がうらやましい、武蔵屋の若だんなみたいな気持ち、嫉妬というのかネ
それは私も同じ、心のどこかで儲けたヤツがうらやましいというか、何というか・・・」

ここで、いつもの商人の顔になって、静かに話し始めます。

「その他に、もう一つ、よくある誘惑、それが女性の話さ・・・というのもね・・・
私は以前から、南蛮渡来の心理学って言うヤツの先生、それも学問所で学んだのでなく

養生所にいるお年寄り、牢に入れられた罪人、それに夫婦(めおと)や親子など・・・
いろんな現場で実践の経験を積んできたお人に、10数年、教えてもらってきたんだけど

・・・その先生が言うには、女性とのいろんな快楽や喜びは、商いの快楽や喜びと比べると
男性の行動欲と所有欲、何かをして何かをつかまえるという狩猟的な欲望と一致していて・・・」

そこまで言うと、杯のお酒をクッ!と空けて。

「・・・それで昔から、英雄色を好む、と言われたり
仕事のできるヤツは女性にモテる、と言われたりしているって話さ・・・」

さてさて。一見すると、男の勝手な言い分や言いわけ?に聞こえるかもしれませんが。

それは、それとして。

世の中には2代目と言われる、親の跡を継いだ息子さんが。
商いとか仕事の次くらいに女性で失敗したお話、決して少なくないように思います。

もちろん。程度の大小があって、ウワサ程度からちょっとしたトラブルから。
大きくなると商いを傾かせたり、世間さまに顔向けできないほどヒドかったりと。

いろんなケースがございますが、それも何よりも。
越後屋に相談してきた備前屋の2代目も、その手の話でございます・・・。

どうも越後屋の商い帳、実際に様々な2代目とあった話を物語にした上で。
備忘録として自分の反省も入れておりますことから、長くなっております。

その点は、お許し頂いて。

この話は、またまた次回。
お後がよろしいようで、続きまする・・・。