2015年3月31日火曜日

選べない、選ぶものがない時に

昨日、旧知の2代目経営者の仲間と食事した時のことです。

今、行なわれている地方選挙のこと。
ビジネスの現状や将来のことなど。

取りとめもなく、話をしていたわけですが。

ふと、話題に上ったのが。

人は。

生まれた場所や時間は、自由に選べない。
死ぬ場所や時間も、自由に選べない。

ただ人は。

生まれて死ぬまでの間に。
ものすごく多くのことを選んでいる。

たとえば、起きて会社に行こうか?休もうか?
何を着ていくか?ゴハンは何を食べるか?

仕事は何を先にするのか?どの方法でするのか?
どの程度まで仕上げるのか?何時までにするのか?

などなど。

1日に何十、何百もの選択をしている・・・という話から。

一方で、よく会社経営やビジネスの選択の場面で。

自由に選べない、一つしかない、とか。
また何を選べばよいかわからない、とか。

普段の生活では、数多くの選択肢から。
数え切れないほどの選択を経験しているのに。

選択肢が一つしかないと思ってしまう。
選べないと思ってしまう、選ぶものがないと思ってしまう。

これって、どうしてかな?という話題になりました。

すると、旧知の仲間は。

「そりゃ~今日は何を食べようかな?ってレベルと。
ここで選択をミスったら、会社が傾くとか、ビジネスが失敗するとか。
こんなレベルの選択とは、重さも緊張感も違うからさ、あたり前じゃん。」

と答えたので。

たしかに、選択の結果が生む重さが違ったり。
そのための緊張感が違ったり、これはあるとは思いますが。

たとえば普段のお昼ゴハン、多くの品が載っているメニューがあったり。
お店も定食屋さんやラーメン屋さんや蕎麦屋さんなど数多くあったり。

本当は多くの選択肢があるのに、おもしろいもので。
なぜか?いつもの店でいつものメニュー!ってことが多くないか?

ところが、たとえば「今日こそは!」と思う商談やデートの食事なら。
いろいろ考えたり、時にはネットで調べたり、数多くの選択肢を集めて。

お店からメニュー、または品を出すタイミングなど考えるわけで。
重さや緊張感がある場面の方が、選択肢を増やして決めないか?

つまり、選択する緊張感や結果の重さでなく。

単に考えたいか?考えたくないか?めんどくさいか?手間をかけたいか?
もっと言ってしまえば、選択の結果から逃げたいのか?責任を取るのか?

いわゆる、思考停止に自分を追い込んでいるとか。
あとは好きか?キライか?など、感情的なものじゃないか?と話しました。

思うに。

たとえば目標や理想や夢といったものでも、何か一つに絞って。
それが100%手に入ること、これしか選択はない!と思い込んで。

その結果、逆に行き詰って目標や理想や夢を手に出来ない。
途中で、もっと適正な目標やより良い理想や夢があるのに目に入らない。

このようなことも、一種の思考停止、思い込みや先入観念とか。
意地や見栄、恥ずかしさなどの感情的なブレーキが原因ではないでしょうか。

考えてみれば。

何を選べばよいかわからない、選びたいものがないというのは。
典型的な思考停止であり、感情的なブレーキが働いている状態ですね。

目標も、理想も、夢も、たくさんあるうちの一つだけ手に入ればよい。
100%や100点満点でないけれど、70%とか65点なら、と考えてみる。

目標や理想や夢、そのための行動が決められない、始められない時。

実は多くの選択肢、方法や考え方、捉えたがあることに。
普段の生活で、私たちは誰でも多くの選択を経験していることに。

思い返せば、そうなんだよな~と思うことが。

意外と大切かもしれませんね。

ではでは。また。

0 件のコメント:

コメントを投稿