2015年5月27日水曜日

置かれた場所で咲くことも、逃げることも

置かれた場所で咲きなさい、という言葉があります。

たしか、どなたかの本のタイトルだと思いますが。
本、テレビ、SNS、ブログ、Twitterなどなど。

いろいろな媒体で、言葉を発する時、意見を述べる時。
言葉そのものの意味よりも、発信した人にフォーカスして。

誰が言ったのか?どんな立場の人がコメントしたのか?
その人の経歴や経験は?日頃の言動はどうなのか?

このような人の評価、また発信した人と自分を比べることで。
言葉の受け止め方や感じ方が、大きく違うことがあります。

それは何かを注意された時、たとえば仕事上の判断ややり方とか。
箸の使い方や食べ方、また自分が劣っていると思っている点とか。

尊敬する上司か、それとも普段から生意気だと思っている新人からか。
愛してやまない異性か、それとも気にもならないどうでも良い異性か。
自分が理想とする先輩か、それとも自分と同等と思っている同僚か。

同じ「その判断は間違っている、そのままだと成功しない」と言われても。
同じ「箸の持ち方が違うよ」とか「それは、こう食べた方がイイ」と言われても。
同じ「そこは変えた方がイイ」とか「そのことは直すべきだよ」と言われても。

素直に言葉のとおり、耳を傾けられることもあれば。
無視したり、反発したりすることもあると思います。

それも、普段なら素直に聞ける尊敬できる上司でも。
愛している恋人でも、理想とする先輩でも。

自分の心が体が疲れているとか、ちょっとした言い回しや言い方とか。
自分の状態や相手の無意識な態度などでも、受け止め方が大きく違うでしょう。

当然、この「2代目横丁」のコメントもそうです。

同じ2代目経営者、という立場で発信しているつもりでも。
AさんとBさんでは、受け止め方が大きく違うことが起こる。

これが自然であり、あたり前のことだと思うのです。

そう。置かれた場所で咲きなさい、という言葉も。

その時、その場を受け入れて。
自分なりに懸命に咲く、という意味合いでは。

先代から事業を引き継ぎ、何の苦労もなく財産を手にして。
恵まれた環境に見えているが、実際は実を削る思いをもって。

ボンボン、アマちゃん、お嬢ちゃんと言われ反発しながらも。
至らない自分、力のない自分を反省しながら進もうとしている2代目には。

まさに、生まれ持った2代目という「置かれた場所」で。
先代の色を活かしつつ、先代ほどの大輪でなくとも。

自分なりの花を咲かすために、場合によれば別の花を咲かそうと。
まじめに精進している、周囲の人に心を砕いている2代目にとっては。

そうだよな、と共感しやすい言葉だと思います。

一方で、同じ2代目から見ても温室で育った2代目。
世間でよく言われるだけあって、決して少なくない真のボンボンやお嬢ちゃん。

ワキのアマい2代目、周囲の人に配慮もない2代目、自分を特別視している2代目。
恐らくこのような方たちは、この「2代目横丁」を読むことも、気にすることもないでしょうが。

置かれた場所で咲きなさい、と言われても。
生まれ持った2代目という置かれた場所に、疑問や悩むこともなく。

感心することも、関心を持つこともなく。
また奸臣に足元をすくわれるまで、寒心することなく。

日々を過ごしているように思えます。

もちろん、置かれた場所で咲きなさい、という言葉に。

共感した努力を重ねる2代目が偉いとか、良い2代目とか。
無関心で寒心の経験ない2代目はダメとか、悪い2代目とか。

このような話をするつもりは、1ミリもありません。

それぞれで良いのです。
自分の感じ方で、受け止め方で何の問題もないのです。

ただ「2代目横丁」は、前者の悩んだり、迷ったりしている2代目。
毎日、頭やワキに冷や汗をかき、前へ進もうとしている2代目に。

共感して、少しでもお役に立ちたくて。
さまざまなコメントや情報を発信している存在です。

ですから、置かれた場所で咲きなさい、という言葉も。

置かれた場所、生まれ持ったというだけの2代目という場所であったり。
置かれた環境や配偶者との関係で、跡を継いだ2代目という場所であったり。

自分の意志や決断より、生まれや血縁や婚姻などで2代目となって。
それでも継いだ以上は、自分なりに努力を重ねて、苦労をしている。

このような思いを持つ2代目に、伝えたい解釈があります。

置かれた場所で咲く、このような心持ちは。
環境や現状を受け入れる、心に徳のある人が持ちえる心境で。

ニュートラル、自然体、という言葉にも近くて。
まさに無の境地とは、何もないのでなく、すべてを受け入れることですから。

素晴らしい信条、目標としたい考え方になるかもしれません。

しかし、同時に。

生きるためだけに、食べ物を探して、食べて、寝て。
子孫を残すためだけに、本能のままに行動する生きものでなく。

人は、自分の意思や心や感情で行動する生きものです。
人は、自分の意志や心や感情を折り曲げて行動すると病になる生きものです。

置かれた場所がガマンできなければ、ひどければ。
そこから出て行っても良い、むしろ逃げるべき場所や場合もあるのです。

置かれた場所から出る、逃げる、避ける。
壁を乗り越えるのでなく、回り道をする、時には穴を開ける。

このような判断や行動を含めて、すべてが自然体であって。
すべてを受け入れる、そのような大きな器であると考えて良いのです。

置かれた場所で咲くという心構えや行動も大事ですが、逃げるも大事。
置かれた場所で咲くから器が大きい人なのでなく、逃げられるのも器が大きい人。

まじめな2代目の方、自らを律することができる2代目の方は。
置かれた場所に、踏みとどまり過ぎない、こだわらない。

このような行動も、ぜひ大切にして下さい。

ではでは。また。


2015年5月19日火曜日

人を見る目

人、モノ、お金、情報。

よくビジネスや企業を構成する4つの要素と言われているものです。

おもしろいもので、世の中を見ると。
人、モノ、お金、情報の順番でなく、情報、お金、モノ、人の順番で。

業界や地域や国や人種などの境界線を越えて。
より広く、より遠くとやりとりができることになっています。

それは別に、今のインターネットやスマホといった技術が出来たからでなく。

まだ海外へ行ける人も数少なく、輸入品は高額な高級品で手に入りづらく。
1ドル=360円のように、お金のレートも固定化されて自由にならなかった時代。

こんな時代でも、テレビではオリンピック中継や大統領暗殺事件といった情報が。
リアルタイムや短期間のうちに、ほとんどんの家のお茶の間へ配信されていました。

一方で。人が一番初めにあるのは、モノも金も情報も。
すべて人が生み出して、人から人へ広げてきたからでしょう。

最初はモノ、原始時代には動物の骨で作った釣り針や矢と弓やオノだったかもしれませんが。
これら道具や製品を生み出して、人から人へ最初はモノとモノの交換で広げていきました。

次にお金を生み出して、人から人へモノとお金の交換を広げて。
やがて株や為替や利息など、お金がお金を生み出すしくみを作って。

人から人へお金とお金の直接交換も始まり、かわら版や新聞や本など。
情報がお金になるしくみも生み出して、ドンドンとお金と情報の交換が急拡大。

今やブログや投稿でお金を稼いだり、情報起業家やノウハウ販売で稼いだりなど。
モノとお金を交換するより、情報とお金を交換するほうがお金になる時代となりました。

これらすべてが、人が考えて作ったビジネスや経済の流れです。

このようなことから考えても、ビジネスや企業を構成する4つの要素の中で。
基礎となるのが人であり、人を見て商売する、企業は人なりという言葉があるように。

人と人とのつながりや人脈が、ビジネスや会社の基礎を作っているともいえます。

すると。2代目経営者の中に少なくないのは、人と人とのつながりや人脈を。

「アイツは、先代(親)から引き継いだ人脈で商売ができてうらやましい!」
「金持ちや富裕層と人脈があればなぁ~!もっと稼げるのになぁ~!」
「あの会社は政治家や大会社の役員とつながって、オイシイ商売をしている!」

などなど。利害関係やお金の大小とか、自分より上位の地位にいるとか。
何かしらの権力があるとか、このような視点だけでとらえている人たちです。

彼らの特徴は、自分より地位や権限がない人たちには冷たくて。
社員や自分がお客としていくお店、たとえば飲食店や小売のお店などで働く人には。

上から目線でモノを言ったり、極端な場合は何をしても許されると思ったり。
パワハラやセクハラ、男性だと女性関係のトラブルに発展するなどもあって。

ビジネスや私生活に悪影響が出た話も、しばしば耳にします。

もちろん、私たちは経営者であってビジネスパーソンですから。
ボランティアで、人と人とのつながりや人脈を大切にしろ!とは言いません。

ただ、人と人とのつながりや人脈をつくり広げる「人を見る目」として。
利害や地位や権力ではなく、自分ができないこと、知らないこと、苦手なことを。

できる人、知っている人、得意とする人、という視点をもつことで。
本当の意味で大切な人と人とのつながりや人脈ができると思うのです。

この考えでいけば、たとえば社員は「自分一人ではできないこと」をカバーしている人。
先代からの古参幹部も「自分の苦手なこと」や「気づかない点」を教えてくれる人。

サービス業や小売業の店員さんも、自分にはできない「笑顔で接客」に取り組んでいる人。
飲み屋さんで働く女性も、自分にはできない「酔っ払ったオッサンの相手」をしてくれる人など。

このように見ることができるのではないでしょうか。

その結果として、利害やお金に関係なく「真に大切な情報」を手に入れたり。
自分自身の発想や価値観が広がったり、精神的な成長もできたりするとも思うのです。

だからといって。当然ですが、誰とでもつながりを広げればいいものじゃありません。
また自分は利害やお金に関係がないと考えても、相手は利害やお金の場合もあります。

これらの点を含めて、経営者やリーダーという立場の人は。
多面的に「人を見る目」を養うこと、そして「人を見抜く力」をつけることが重要ですが。

特に2代目経営者が、先代から引き継いだ会社の経営に行き詰まる最大の原因は。
会社の内外での人の問題であって、この「人を見る目」がなかったことが多いと思われます。

お互い、ぜひ気をつけたいですね。

ではでは。また。

2015年5月13日水曜日

企業、変わるためには

前回お話したように日本全体で、根本的に。
これまでの護送船団方式からの脱皮が迫られています。

その流れの中で、地方経済は衰退。
そのため、地方を拠点とする中小企業は大きな変革をしなければ。

変わらなければ生き残れない、きびしい経営環境に突入します。

すると。

「そんなこと言っても昔から、変わらないと生き残れない!と言われて変わって来たよ!」

「そうそう!バブルの崩壊も、失われた20年も乗り越えて来たから!どうにかなるわ!」

「ウチはお客さんの言葉によく耳を傾けて、ドンドン商品構成を変えているから大丈夫!」

などなど。このような声も聞こえてきそうですが、これまでと今後の経営環境がちがう点を。
商品やサービスの改革や開発、またマーケティング(集客)の視点から説明したいと思います。

戦後の焼け野原、1945年から1960年代末にかけて。
モノを作れば、商品を製造すれば売れる時代がありました。

この頃はモノ不足であり、消費意欲も高く、いわゆるプロダクトアウトといわれて。
良いものを作れば売れる!という、企業が主体で発想する商品開発の時代でした。

やがて1970年代から、モノが満ち足りて、やがてモノがあふれる時代となって。
1990年前後、あのバブルの崩壊により、良いものを作れば売れる時代も吹き飛びます。

そして失われた20年とか25年とか言われる、1990年前後から近年まで。
デフレ不況と言われましたが、一方でお客さんや市場の要望から商品をつくる時代へ。

マーケットイン、お客さんや市場を主体に発想した商品なら売れるようになりました。

実は。ご存じの方もおられるでしょうが、マーケティングや市場の分析や予測とか。
企業の盛衰期の研究や予測に用いられる「成長曲線の法則」というものがあります。

それは初期の黎明(れいめい)期、中期の成長期、後期の低迷(成熟)期が。
ほぼ同じ間隔、年月によって変化していくという考え方です。

この観点からすれば、黎明期から成長期に至るまで。
戦後1945年から1960年代末、約20数年がかかって。

次に成長期から低迷(成熟)期に至るまで。
1970年から1990年前後、同じく約20数年がかかっていることがわかります。

そして1990年前後から約20数年後。

そう。この法則から考えれば、2015年前後までが低迷(成熟)期にあたって。
いよいよ今、次の黎明期、新しい時代が幕開けする時が来ていると予測できるのです。

では企業が主導する商品開発から、市場が主導する商品開発の時代を経て。
次は、どのような商品開発やマーケティングの流れになると考えられるのでしょうか。

一言でいえば、企業主導と市場主導のハイブリッド。
プロダクトアウトとマーケットインの融合になると思われます。

別の言い方をすれば、先日もこの場でお伝えした話。
市場から商品をつくるのでなく、商品が市場を生み出す時代。

言いかえれば、企業主導のプロダクトアウトで生まれた商品やサービスが。
新たな市場主導のマーケットインを生み出すという時代となるのです。

というのも。黎明期は、一部の新しいものや珍しいもの好きや好奇心旺盛な人たち。
マーケティング用語でいうイノベーター(革新者)が、市場をリードする時代だからです。

企業も革新の時代であり、戦後の黎明期には数多くの日本を代表する会社が。
革新的な経営者のもと、次々と生まれていったのは、今さら説明する必要もないでしょう。

たった一人のイノベーターが、スマホやインターネットで発信することで。
社会に大きな流れを生む時代、いいね!が集まって一気に行列ができる店となる時代。

戦後の時なら空想の産物、おとぎ話やSF小説の世界が現実となって。
コンピュータというものが生まれて、会社はおろか、家庭でも、一人に一台となって。

今やスマホやタブレットなど、時間と場所を選ぶ必要もなく。
モノすごいスピードと範囲で、イノベーターが生まれ育つ環境があります。

ではこのような時代、後にネオ・黎明期と呼ばれるであろう今後の約20数年間の日本で。
国内市場を主体とする私たち中小企業経営者、特に地方に拠点を置く若い2代目経営者は。

ネオ・黎明期を乗り越えるために、どのようにして新しい発想やアイデアに基づいて。
先代から引き継いだ商品やサービスを変えていけばよいのでしょうか。

もちろん、地域性や業界の特性、また自社のポジションや市場動向など。
100社いれば、100通りの経営環境がありますので、一概には言えませんが。

大原則ともいえる、新しい発想やアイデアのためのヒントがあります。

それは、ズバリ!

2つ以上の異なったものを組み合わせる!

という考え方です。

アメリカでは「アイデアを出そうよ!」と言うと。
相手から「お前の言うアイデアって何?」と返されるといいます。

そこでアイデアの定義として「2つ以上の異なったものを組み合わせる」と。
このような説明がされて、はじめて議論が始まるのだそうです。

なるほど。

たとえば、携帯電話にカメラといった異なった機能とか。
ガソリンエンジンに電気といった異なったシステムとか。
平安時代の町屋を改装したレストランといった異なった時代とか。

商品が市場を生み出した事例は、異なった2つ以上のものを組み合わせています。

また別の角度から考えれば、業界や自分が「あり得んでしょう!」という組み合わせ。
たとえば、高級食材による一流のシェフの料理が格安で食べられる「俺のイタリアン」とか。

このような異なった発想の組み合わせ、異業種のしくみとの組み合わせもあります。

まさにイノベーター、革新的アイデアやしくみが新たな市場を生んだわけです。

あなたが持つ、今の商品、サービスをこのような切り口で様々なものとくっつけてみる。

連休で十分に休養をとり、まだスッキリしている頭でも。
連休ボケでボーっとした頭も、もう直った頃でしょうから。

今週末あたり、じっくり腰をすえてアイデアを考えるのもイイかもしれませんね。

ではでは。また。

2015年5月8日金曜日

日本、護送船団方式からの脱皮へ

新聞やテレビのニュースで、商工会議所や同業者の集まりで。
はたまた先月、全国各地で行なわれていた地方選挙で。

さらに、社内でも。
場合によれば、ご家庭でも(笑)。

「今の年金制度は、構造から変えなければ維持できません!」

「この町を衰退させないためにも、商売のしくみを変えましょう!」

「XXノミクス効果で、私たちの地域もこれからドンドン変わります!」

「おい、あの商品のレイアウトは変えた方が効果的じゃないか?」

「結婚したトタンに男は変わるっていうけど、ウチはホントにそうよ!」

などなど。

必ずどこかで、また毎日のように。

変わる、変える、変わらなければ、変わる時、変えれば。
また改革とか変革など、変わる、という言葉をよく耳にすると思います。

昔、二十数年前ですが。
ある経済評論家の講演会で。

「変わらない、というのは、10年前、1年前、1ヶ月前、1週間前、昨日と比べて、
今日もまた、同じことを繰り返していること、同じ状況や状態にあることを意味しています」

「その点、日本では相変わらずの護送船団方式で、変わっていない業界が3つあります」

「それは金融業界、建築業界、そして政治業界です!」

という話を聞きました。

ウィキペデイアによれば、護送船団方式とは。

『船団の中で最も速度の遅い船に速度を合わせて、
全体が統制を確保しつつ進んでいくことになぞらえて、
日本の特定の業界において経営体力・競争力に最も欠ける事業者(企業)が、
落伍することなく存続していけるよう、
行政官庁がその許認可権限などを駆使して業界全体をコントロールしていくこと』

となっていますが、現状を見ますと。

もともと金融業界は、護送船団方式の語源となっていたような業界ですが。
平成に入ってから「金融ビッグバン」という大改革を受けて、かなり変わって来ています。

また建築業界は「某政権時のおバカな担当大臣」の政策や20年来の建設不況で。
業界を取り巻く環境が大きく変わり、地方を中心にかなりの数の業者が淘汰されてきました。

そして、最後に政治業界ですが・・・。

先の地方選挙では、数多くの選挙区で候補者がいないほど衰退してきた一方で。
中央の政治業界は10年前どころか戦後70年の間、相変わらずのままのように見えます。

そして今、日本は変わらないと経済が崩壊する、変わらなければいけないと言われて。
社会構造や税制や財政の改革、経済構造や規制緩和などの変革が叫ばれていますが。

まさに本腰を入れて、日本全体が護送船団方式から脱皮を目指す時代になったと思います。

政治的には「速度の遅い船」つまり地方都市、特に田舎の切捨てや自立促進になります。

今の政権は、そのために地方活性化政策を打ち出している!と叫んでいますが。
過去の事例、市町村合併の政策を見れば、最後は切り捨てるし切り捨てざる得ないでしょう。

なぜなら。地方にバラまく財政的な余裕が、国にドンドンなくなっているからで。
それと同じ理由で、年金制度や社会保障制度も切り捨てに走り始めているわけです。

すると。国内全体の市場規模が縮小する中、若年者の人口流失が止まらない市町村は。
年金生活もままならないお年寄りの増加もあって、市場が目に見えて縮減、衰退していきます。

その結果、国内市場を相手とする多くの中小企業、特に地方を拠点とする中小企業は。
より一層の本格的な淘汰の時代、生き残りをかけた企業間の競争に突入していくでしょう。

もし今は大丈夫だと感じても、同じ県内や隣接県のより小さな町村を見ればわかります。

よくよく見ると、以前から小規模な町村では。
役場と農業や林業、そして建設業くらいしか若い人の勤め口がありませんでした。

農業と林業、そして建設業は、その就労スタイルから若者に敬遠されて来ましたが。
最後の役場も淘汰や統合となり、田舎には若い人の就職先はほぼゼロになります。

やがて、その流れは県内でも比較的大きな市まで広がって。

多くの中小企業は、地方に留まっていては、今のままでは、変わらなければ。
衰退や廃業、場合によれば倒産の憂き目となる可能性が高まります。

たしかに、いつの時代も。

私たち中小企業の2代目経営者にとっては。
今も昔も変化への対応こそが、企業存続の大命題でしたが。

過去にない大変革の時代、まったく新しい発想、新しいアイデアに基づく改革が求められます。

では、新しい発想やアイデアを出すには?どうしたらいいのでしょうか。

次回、そのヒントをお伝えしたいと思います。

ではでは。また。